写真史学者の座談会
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1959年11月号のアサヒカメラには「写真商売うらおもて、写真史研究家」と銘打って座談会が行われた。 石黒敬七はパリでダゲレオタイプの写真を収集する所から始めたと語った。石黒の写真史学を特徴づけるものは、モノとしての写真への耽溺であり、モノの博識が石黒の持ち味であろう。 伊奈信男は報道写真の命名者として名高いが、キャリアを東京帝国大学文学部美学美術史学科から始めている。伊奈の写真史への構えは資料を収集する実証主義というより、これをデータとして扱う、美術史、美学的な取り組みである。 梅本は、座談会では伊奈と対立した。梅本はたんねんに資料を集め、史料と史実を渉猟する精神が厳しい。基礎調査に徹し微細な史実を確定している。例えば、世間は小川一真を「イッシン」というが、「かずまさ」といわねばならぬと、発言している。伊奈は日本は西欧より20年遅れていると主張するが、梅本は反論して、座談会はかみ合わなかったという。
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