写真天図星表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 09:20 UTC 版)
ニザミア天文台の最も重要な業績は、写真天図星表 (Carte du Ciel) 計画に参加したことである。この計画は、全天の詳細な写真星図を作ることが目的で、世界中の18の天文台が赤緯帯を分担することで全天を隈なく撮影することになっていた。 当初チリのサンティアゴ天文台(英語版)が担当していた、赤緯-17°から-23°の範囲の観測が捗らず、計画の中核を担う天文学者らがチャットウッドに、ニザミア天文台で代わりに観測することを持ち掛けた。1908年の国際会議で、サンティアゴ天文台の担当領域を再配分することが決まり、同年ニザミア天文台はこれを引き受けた。翌年には観測に使用するアストログラフの設置が終了したが、望遠鏡に不具合があったため、すぐには観測が始められなかった。 チャットウッドは2期6年の任期を終えると、後任には写真天図計画にも関わっていたオックスフォード大学のハーバート・ターナーの弟子、ロバート・ポーコック (Robert John Pocock) が指名され、ポーコックの指導でニザミア天文台は写真天図星表の作成に邁進する。1913年にはアストログラフの修理が必要な機材を英国へ送り、1914年に修理の済んだ機材が戻ると、その年の12月に観測を開始した。第1次世界大戦や事故による後退がありながらも、1917年には星表の第1巻を刊行。ポーコックは1918年に亡くなるが、ターナーの後押しもあり、ニザミア天文台は計画を続行した。
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