美術館の開設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 22:31 UTC 版)
1929年に鈴木信吉が尾張徳川家の家令となると、博物館構想は急速に具体化し、1931年12月、財団法人尾張徳川黎明会が設立され、尾張徳川家伝来の什宝・書籍類のほとんどが同財団に寄付された。1932年9月には大曽根で美術館建設が着工した。 義親は、1933年に、蜂須賀正氏の「豊国祭礼図屏風」、紀伊徳川家の徳川頼貞の「清正公兜」など、他の華族が経済的に逼迫して競売に出した家宝を落札、1935年には近衛文麿から「侍中群要」を交換で入手するなどして、開館準備を進めた。また義親は、源氏物語絵巻の一般公開に際して、長年絵巻の開巻を繰り返したことにより劣化が進んでいたため、田中親美に絵巻を切断させた。 1935年に美術館の建物が竣工し、同年11月10日に一般公開を開始。
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