再利用計画
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県が保存に向けて考え始めたのは1980年(昭和55年)のことである。1993年(平成5年)、県の主催で保存・活用方策懇話会を開催して「文化、歴史・平和、アジアの視点を基本に活用すべき」との意見で一致した。 以降、幾つか利用計画が挙がっているものの、バブル崩壊の影響で厳しい財政状況が続いたことに加え、再利用するためには1棟あたり20億円を超える耐震補強が必要となっていることから実現しなかった。1997年(平成9年)には「瀬戸内海文化博物館構想」、2002年(平成14年)には「国際的芸術文化拠点整備構想」としてエルミタージュ美術館分館を誘致する候補地にもなった。 2011年(平成23年)広島平和記念公園内の「原爆の子の像」に展示できずに溢れた折鶴を30年程度保存展示することとなり、その展示場所の候補の一つとしてここが挙がっていた。 広島県は、2019年12月4日には県が所有する3棟のうち2棟について倒壊の恐れがあるとして解体、残る1棟についは壁面の補強や屋根の改修をした上で保存する考えを示したが、保存を求める声の高まりに応え、2021年5月19日、所有する全3棟を耐震化することを決定した。
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