博物館新館と美術館建設の構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 01:21 UTC 版)
「沖縄県立博物館・美術館」の記事における「博物館新館と美術館建設の構想」の解説
1966年に竣工した首里の沖縄県立博物館は、1990年代初頭には施設の老朽化が進んでいた、そのため新館への移転計画が出され、1991年には沖縄県立博物館基本構想が策定、1994年には沖縄県立博物館新館建設基本計画が作成された。なお、1991年の時点で、那覇新都心への建設計画が一部浮上していた。 沖縄における公立美術館の建設運動は1960年代にさかのぼる。1961年に首里に移転した与儀の農業試験場跡地(現在の与儀公園)に文化センターを建設し、その中に美術館を建設する計画が立てられた。実際に設置準備委員会のメンバーであった画家により建設の設計図まで用意されたようだが、実際には建設は行われず、具体的な建設計画が検討されたのは1993年からである。美術館建設の基本構想の策定に当たり、美術家、建築家、県民からの意見が出され、それらを元に県立の美術館についてのシンポジウムが開催された。その結果、1995年に名称を「沖縄県立現代美術館」とする県立美術館の基本構想検討報告書が作成され、さらに沖縄が独自の文化を持っているということから、「県立」であるが「国立」と同等の意味を持つ美術館として、他の都道府県立美術館とは異なる位置にあることが望まれた。 その後1996年に博物館新館と美術館を併設する形で基本設計が行われ、1999年に着工し、2000年に開館という目標を目指したが、総事業費が395億円という試算が発表され、バブル崩壊後当時の県が財政難であったことから、建設は困難であるということでこの計画は凍結された。 その後、長らく凍結された建設計画は、2002年に経費削減のため事業費を225億円に圧縮するという計画のもとで、本土復帰30周年記念事業として再開されることが決定した。そして、2003年度に建物と博物館展示の実施設計を行い、2004年度から2006年度にかけて建設工事を行い、2007年度に開館する計画を立てた。建物の建設計画自体は順調に進み、実際の開館も予定通り2007年に行われたが、管理運営に関する問題は長らく置き去りにされ、2006年以降に問題となった(後述)。
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