南華密教学
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『密教秘伝「西遊記」』(1994年東明社)では「南華密教」の要旨が公開されている[要文献特定詳細情報]。 中国において密教は、唐朝末期から清朝末期までの間、千年以上も弾圧されつづけ、寺を焼かれて僧が殺される迫害は、何度となくくり返された。法に触れずに学ぶことができるようになったのは辛亥革命後のことである。 そこで中国南部揚子江南岸地方の密教信者たちは、表立って寺院などを持たず、在家居士として秘かに密教を奉じ、法灯を守り続けた。中国南部つまり南華地方の密教なのでこれを「南華密教」と呼ぶ。『西遊記』とはそのような密教信者らが「南華密教」の秘儀を比喩や暗喩の形でまとめ、密かに怪奇小説の中に閉じ込めたものである。 「南華密教」の内容は、「経典」「功夫」「実学」「秘術」の四部門からなり、『西遊記』にはこれらの四部門がすべて網羅されているから、比喩や暗喩の意味さえ解れば、そのまま教科書として使うことができ、面白く読んでいるだけで「南華密教」の真髄を知ることができるという。[独自研究?] 例えば、登場人物のうち、「玄奘法師」は「三蔵」で「経典研究者」、「孫悟空」は「悟空」で「功法実践者」、「猪八戒」は「悟能」で「戒律守持者」、「沙和尚」は「悟浄」で「寺院経営者」という風に、それぞれの立場で進むべき仏の道を指し示す[要出典]。あるいは物語の主役が「三蔵」ではなくて「悟空」なのは、「悟り」への近道は「功法」の実践にこそあり、「経典」を読むことではないということを表している[要出典]。 そして、修行の妨げになることや人生の陥穽は、〈妖魔〉と表現され、禄位への渇望を「黄袍怪」、金銭的誘惑を「金角・銀角」などと譬え(たとえ)、「悟空」の手に負えない妖怪に対しては様々な神や仏を登場させて解決し、現実の欲望などへの対処法を教えている。 「南華密教」の秘伝は、現代科学の目で見ても合理的であり、非常に効率の良い修行方法を取っていることを特長とする。もう一つ大切な点として、「南華密教」は在家居士らによって伝えられた教えだけに、もっぱら個人を基盤としており、多くの宗教のように、教義や教団のために信者が犠牲になるような考え方を取らないという。「南華密教」の「功夫」は、カギュ派などチベット密教の影響が色濃いが、個を尊重する立場から、チベット仏教の政教一致にはむしろ批判的である。[独自研究?]
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