南 聡

東京芸術大学大学院音楽研究科修士課程修了。在学中作曲を野田暉行、黛敏郎に師事。1982年今日の音楽国際作曲コンクール入選。1983年日本音楽コンクール作曲部門2位(1位空位)。1983年より八村義夫の周辺に集まった、中川俊郎、久木山直、内藤明美らと同人グループ「三年結社」を結成活動。1986年北海道に移住。1988年日本現代音楽協会と日本フィルの共催コンサートで初演された、独奏ハープを伴うオーケストラのための《譬えれば・・・の注解》によって注目される(2003年アジア音楽祭に入選)。1990年環太平洋作曲家会議に参加。1991年オーケストラのための《彩色計画V》の初演が評価され村松賞。
1992年3人の独奏と3群のための《歓ばしき知識の花園 I b》にて文化庁舞台芸術奨励賞。
同年ケルンでの日本音楽週間92に湯浅譲二、藤枝守らとともに招かれ、室内アンサンブルのための《昼II》の委嘱初演と自作に関する講演を持つ。
歌とピアノ
南聡
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南 聡 | |
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生誕 | 1955年7月17日(69歳) |
出身地 | ![]() |
学歴 | 東京芸術大学大学院 |
ジャンル | クラシック |
職業 | 作曲家 |
活動期間 | 1955年 - |
南 聡(みなみ さとし、1955年7月17日 - )は、東京都出身の日本の作曲家。
人物
東京芸術大学大学院修士課程修了。作曲を野田暉行、黛敏郎に師事。1983年の日本音楽コンクールにて作曲部門2位を受賞(1位は空位)、第1回ミュージックトゥデイ国際作曲コンクール入選によってデビュー。
1983年より同人グループ「三年結社」を結成活動。村松賞、文化庁舞台芸術奨励賞を受賞したほか、ISCMの音楽祭に2度入選、アジア音楽祭にも入選した。
1986年より北海道教育大学札幌校助手、准教授を経て、北海道教育大学岩見沢校教授を経て、退官[1]。北海道教育大学岩見沢校名誉教授。日本現代音楽協会会員、荒井記念美術館評議委員、北海道作曲家協会会員[2]。
脚注
出典
- ^ “人事異動”. www3.hokkyodai.ac.jp. 2025年7月16日閲覧。
- ^ 北海道教育大学 |南 聡
「南 聡」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は南部なまりで話した
- 南極探検
- 東南アジア
- 南向きの家
- 南国の太陽の強烈な光
- 風が南から吹いている
- 暖かい風が南から吹いてきた
- 北部と南部の間に緊張が高まった
- 南軍
- ロサンゼルスはサンフランシスコの南,もっと正確に言えば南東にある
- 彼女は神戸から南へ鹿児島まで行った
- その町の南の外れ
- 彼らは今南極地方で石油採掘の調査をしている
- 南向きの部屋
- 南極の極寒
- 島の最南端
- ホーン岬は南アメリカの最南端にある
- 南極地方では大地は一年中固く凍っている
- 東南アジア諸国における産業の発展
- ペンギンは南極大陸に生息している
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