南ベトナムの国歌と作者とは? わかりやすく解説

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南ベトナムの国歌と作者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 21:15 UTC 版)

南ベトナムの国歌」の記事における「南ベトナムの国歌と作者」の解説

南ベトナムの国歌のうち、「青年行進曲」と「南部解放」の作詞・作曲、及び「市民への呼びかけ」の作曲はルー・フー・フォク(英語版)(Lưu Hữu Phước, チュノム劉友福;1921年 - 1989年)が手掛けている。 フランス植民地支配対す抵抗意識を持つルー・フー・フォクは、1939年サイゴン学生クラブ向けにフランス語歌曲学生行進曲」(仏:La Marche des Étudiants)を作曲し1941年から「学生行進曲」の旋律使って植民地支配抵抗するベトナム語歌詞3回渡り作詞していた。そして1945年仏印処理ベトナム帝国成立)の一環として日本当局ベトナム人青年先鋒隊(英語版)を結成させると、ルーは「学生行進曲」の旋律新たなベトナム語歌詞付けて隊歌とした。これが、後に国歌となる「青年行進曲」である。 第二次世界大戦後共産主義傾倒したルー1946年からハノイベトナム民主共和国文化政策参画していた。一方1948年ベトナム民主共和国敵対するベトナム臨時中央政府(後のベトナム国)が樹立されると、彼らは青年先鋒隊歌だった「青年行進曲」をルー無断国歌制定した。その為、1949年からルーベトナム国による「青年行進曲」の無断使用著作権者として非難する一方フランスからの独立を望んて制作した歌曲フランスの「傀儡政府」であるベトナム国国歌とする状況ベトナムの声通じて嘲笑したその後1955年ベトナム国ベトナム共和国体制変更するが、ベトナム共和国1956年に「青年行進曲」の歌詞だけを変更して新国歌「市民への呼びかけ」としたので、ルー著作権侵害している状況変わりはなかった。一方ルーは、1960年結成され南ベトナム解放民族戦線解放戦線)の団体歌として1961年に「南部解放」を作詞・作曲し、自身1965年17度線越えて南ベトナム秘密裏戻り解放戦線の主要メンバーとなった。そして1969年解放戦線南ベトナム共和国臨時政府樹立すると、臨時政府閣僚として南部解放」を国歌流用したこのような経緯から、冷戦下にもかかわらず南ベトナムでは自由主義陣営属する国が社会主義陣営属す人物の曲・歌詞国歌として使う奇妙な状態が最後まで続いていた。

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