北陸合同電気の成立
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上記のように政府が第2次電力国家管理を推進する中で、北陸を代表する電力会社日本海電気にて社長を務める山田昌作は、過度の国家介入を避けるべく電気事業の自主統合実現を目指した。もう一つの主要電力会社高岡電灯の社長菅野伝右衛門の合意を取り付けると監督官庁の名古屋逓信局も北陸3県の事業統合を督励するようになり、それもあって統合議論が一挙に進展。1940年12月から合併準備委員会で具体案が議論され、翌1941年3月10日、合併契約の調印へと進んだ。 この合併契約に調印した事業者は日本海電気・高岡電灯・金沢電気軌道・小松電気・大聖寺川水電・越前電気の6社に日本海電気系の立山水力電気・雄谷川電力、高岡電灯系の出町電灯・手取川水力電気・石川電気・石川電力を加えた合計12社。福井県内の事業だけを分離するのが困難な京都電灯と公営事業者の金沢市は北陸3県の主要事業者でありながら統合に参加していない。合併方式は各社が解散して新会社を設立する新設合併であり、新会社北陸合同電気株式会社を設立するものとされた。日本発送電設立時の資産評価方法を踏襲して各社の資産評価額を算出したところ、新会社の資産総額は1億3105万円に上ったが、急激な資本膨張を避けるため評価額を切り下げ、新会社の資本金は公称8800万円・払込7212万2500円と決定された。 合併契約調印直後の4月に逓信省が発表した「配電事業統合要綱」では配電統合を全国8ブロックに分けて実施するものとされ、北陸地方は中部地区に含まれる予定であった。政府方針が北陸地方の独立を前提としないため北陸合同電気の設立意義を疑問視する意見が発生するが、一方でこの自主統合実現が北陸ブロックの独立に繋がるとの意見もあり、議論が続く。7月初頭の逓信省内会議でも8ブロック案の方針が再確認され、北陸合同電気設立は取り止めるべきとの意見が優勢となるが、主唱者の山田昌作は北陸ブロック独立を目指して自主統合をそのまま推進する方針を打ち出し、7月12日、北陸合同電気設立委員会で既定方針通り新会社を設立する旨が決定される。そして7月29日に北陸合同電気創立総会が開催され、3日後の8月1日付で合併が成立、旧会社12社は一斉に解散して新会社北陸合同電気が設立された。 北陸合同電気の取締役会長には高岡電灯から菅野伝右衛門が、取締役社長には日本海電気から山田昌作がそれぞれ就任。本社は日本海電気本社が入居していた富山市の富山電気ビルに構え、富山・高岡・金沢の3都市に支社を置いた。
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