創設から1998年まで
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「カロライナ・パンサーズ」の記事における「創設から1998年まで」の解説
1995年にピッツバーグ・スティーラーズのディフェンス・コーディネーターであったドム・ケイパースがヘッドコーチとして迎えられた。他球団からプロテクトを受けなかった選手をエキスパンション・ドラフトで指名したがその中の1人アトランタ・ファルコンズから移籍したビル・ゴールドバーグがチームから最初に解雇された選手となった。彼はその後WCW、WWE(旧WWF)でプロレスラーとして活躍することとなる。1995年のドラフト1巡目全体5位でチームはペンシルベニア州立大学のQBケリー・コリンズを指名した。パンサーズとジャクソンビル・ジャガーズは1976年に加入したタンパベイ・バッカニアーズ、シアトル・シーホークスの時代と異なりフリーエージェントの影響もありチーム創設の困難さは小さいものとなった。チームはWRのドン・ビービー、LBのサム・ミルズ、PKのジョン・ケイシーを獲得した。チーム初のゲームは1995年7月29日にジャガーズとの間で行われたプレシーズンゲームであり20-14で勝利を挙げた。最初のシーズンはスタジアムが建設中だったためホームゲームをクレムゾン大学のメモリアル・スタジアムで行った。これはサウスカロライナ州を本拠地とした初の北米4大プロスポーツリーグ(MLB,NFL,NBA,NHL)のチームとなった。第1週に行われたアトランタ・ファルコンズ戦では13-3とリードしたものの20-23で敗れた。また地元開幕戦となったセントルイス・ラムズ戦では10-31と敗れている。開幕から5連敗した後、10月15日のニューヨーク・ジェッツ戦で初勝利をあげた。この試合でサム・ミルズは31ヤードのインターセプトタッチダウンを挙げている。この試合から4連勝を挙げて前年スーパーボウルチャンピオンのサンフランシスコ・49ersを破る番狂わせ も演じて7勝9敗でシーズンを終えた。 1996年のドラフトでは2巡目にワイドレシーバーのムーシン・モハメドを獲得、またクォーターバックのスティーブ・バーライン、タイトエンドのウェズリー・ウォールズ、ラインバッカーのケビン・グリーンを補強した。チームは創設2年目ながら7連勝を挙げるなど12勝4敗でNFC西部地区優勝を果たした。ディビジョナルプレーオフでダラス・カウボーイズを26-17で破ったがこの年のスーパーボウルを制覇するグリーンベイ・パッカーズにNFCチャンピオンシップゲームで13-30で敗れた。同じ創設2年目のジャクソンビル・ジャガーズもプレーオフに進出したがAFCチャンピオンシップゲームでニューイングランド・ペイトリオッツに敗れている。スーパーボウルに進出こそならなかったもののチームからはプロボウルに8人の選手が選ばれた。 1997年ファンはチームを期待したが2勝4敗のスタートとなるなど期待を裏切った。フィールド外でもトラブル続きでスターQBだったケリー・コリンズもアルコール依存症にかかり、チームメート(ムーシン・モハメドなど)に対する人種差別的な発言をしてトラブルメーカーとなったため、1998年のシーズン終了後チームは彼との契約を切った。1999年には、1997年のドラフト1巡目で指名されたWRレイ・カルースが妊娠したガールフレンドを謀殺して逮捕されるといったことが起きた。また、2000年4月にはエースRBだったフレッド・レーンが妻からドメスティックバイオレンスで訴えられたためコルツに放出している。
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