前儀
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さまざまな前儀(5月3日流鏑馬神事・5月12日御蔭祭・御阿礼神事)が行われるが、中でも流鏑馬神事(やぶさめしんじ)が有名である。糺の森(ただすのもり)の真中にある全長500メートルの馬場(ばば)を、公家風の装束姿や武家風の狩装束姿の射手(いて)たちが疾走する馬上から、3つの的を射抜くというものである。 「矢伏射馬(やぶさめ)」とも書かれる流鏑馬は、その文字が示すように矢を射ること。馬を走らせながら正確に的を射抜く高度な技術が必要とされるため、人気の行事の一つである。 雄略天皇の即位の年(457年)、「騁射(うまゆみ)」を行ったと『日本書紀』が伝え、「賀茂祭に民衆を集めて騎射を禁ず」の記事が『続日本紀』にしるされるなど、古い歴史を持つ日本古来の馬術とされる。 射手のかけ声「イン、ヨー」とは「陰陽」のこと。みごと矢が的中すれば五穀は稔り、諸願は成就すると言い伝えられている。文亀2年(1502年)に中絶したが、昭和48年(1973年)、下鴨神社式年遷宮の記念行事として復活。「糺の森流鏑馬神事保存会」によって公家装束による流鏑馬が保存・伝承されている。 また、上賀茂神社では競馬会神事(くらべうまえじんじ)などが執り行われる。
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前儀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 03:06 UTC 版)
当屋の家の床の間または公会堂に祭壇を設置する。祭壇には「大山祇大神」という神号を掛け、御幣3本を立て、粢と酒、魚、野菜、塩を供える。この段階の祭は当屋と神職の2人だけで行われ、祭壇のある部屋は襖を立てて締め切り、祝詞は微音で奏する。 出発の30分前になると、従者または有線放送により「でやんなよう」と告げ、さらに10分ほど経つともう一度「でやんなよう」と呼びかける。この呼びかけは、この祭に出逢うと罰が当たる、この祭の神職に会ったり提灯の灯りを見ると目が潰れると言われていることから、物忌みをして「(祭に)出逢うなよ」「(外に)出るなよ」という意味を持つ。この声を聞いた人々は、家の戸を閉ざし、すべての窓を閉め、明かりが外に漏れないようにして、一切の物音を立てないように家の中で物忌みをする。 これが終わると、神職と従者は口に榊の葉を加えてお互いに喋らないようにし、草履で外に出る。神職は祝詞を、従者は提灯と米、麹、注連縄、柄杓などを持ち、御幣を捧げて耳浦神社へ向かう。
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