前原線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 02:50 UTC 版)
津09:津田沼駅〜前原西〜管理事務所前〜公団東口〜千葉病院前〜飯山満二丁目自治会館(廃止) 津10:津田沼駅〜前原西〜管理事務所前〜公団東口〜千葉病院前 津11:津田沼駅〜前原西〜管理事務所前〜公団東口(休日運休) 津12:津田沼駅〜前原西〜管理事務所前(未使用) 津13:津田沼駅〜前原西〜管理事務所前〜公団東口〜千葉病院前〜飯山満二丁目自治会館〜東葉高校 津14:津田沼駅〜前原西〜管理事務所前〜公団東口〜千葉病院前〜飯山満二丁目自治会館〜東葉高校〜東町〜東船橋駅2007年3月1日:路線名を前原公団線から前原線に変更。 2010年3月20日:東町〜東船橋駅間の運行ルートを船橋市場郵便局まわりから東船橋駅入口まわりに変更、習志野営業所の「東船橋駅入口」停留所を新設(鎌ヶ谷営業所の同名の停留所とは乗車扉が異なるため車両停車位置は同じだがポールの位置は少々異なる)。 2020年8月1日:津10系統の半数以上の便を飯山満二丁目まで延長し、新たに津13系統を設定(津田沼線にかつて存在した津13系統とは異なる)。 2022年3月19日:飯山満二丁目バス停は東葉高校と停留所名を変更。 前原線はJR津田沼駅とその北部のアルビス前原(旧・公団前原団地)とを結ぶ路線である。途中の公団東口停留所と前原駅とはそれほど離れていないが、新津田沼駅がJR津田沼駅と若干離れているために鉄道線よりもバスの方が有利な点が多く、路線として成り立っていると言える。1961年開通当初は千葉病院前までの運行であったが、その後(1960年代)飯山満駐在所前(現・飯山満二丁目自治会館)まで延長された。ただし、飯山満駐在所前(飯山満二丁目自治会館)までの運行は長らく1往復が続き(1989年12月16日以降は東船橋駅まで運行。後述)、35年ほどたった1996年4月27日の習志野線(東船橋駅〜飯山満二丁目〜自衛隊前・習志野車庫)の廃止により、ようやく複数本数が運行されるようになった。なお、飯山満二丁目自治会館には折返場が無く、近くの三叉路にヘアピンカーブで入り、バックして折り返すという荒技を行っていた。ちなみに、飯山満入口〜東町間は2000年8月15日まで鎌ヶ谷営業所の高根線(同日廃止)と並行していた。なお、「飯山満入口」は「はざまいりぐち」と読むが、芝山線の「飯山満駅」は「はさまえき」である。 千葉病院前・東船橋駅発着便は全て中型車で運行されている。これは公団東口から先の道路に狭隘な区間が存在するためである。以前は大型車をツーマン運行していたが、時代の流れでワンマン化がすすみ、中型車の導入と増発によって対応した。なお、これに伴い、公団東口付近のルートを一部変更すると同時に飯山満二丁目自治会館便の東船橋駅までの延長を実施している。また、中型車は定員が少ないために、津田沼駅では「公団東口行」と「千葉病院行、東船橋駅行」とで乗場を分離したが、ダウンサイジング化の流れで公団東口折返し便も中型車で運行されることが多くなってきたため、2006年4月頃より3路線とも同じ乗り場となった。その後、2007年3月1日のダイヤ改正で千葉病院前発着便と公団東口発着便の運用が共通化された。 なお、ツーマン運行のときは車掌立ち位置(中扉後部)にワンマン運行用の運賃箱を設置して運賃収受を行っていた。(当時の鎌ヶ谷営業所の高根線や松戸営業所の小新山線や馬橋線もツーマンの頃は同じ方法で運賃を収受していた。)
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