前半生の履歴
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「マックス=ヘルムート・オステルマン」の記事における「前半生の履歴」の解説
マックス=ヘルムート・オステルマンは1917年12月11日に司法官庁の公務員の子としてハンブルクで生まれた。中等教育の最後に受験する最終試験のアビトゥーア合格後の1937年3月に士官候補生(Fahnenjunker)としてドイツ空軍に入隊した。オステルマンは最初にメッサーシュミット Bf 110を装備する第1駆逐航空団(ZG 1)の第I飛行隊に配属され、1939年のポーランド侵攻に参加した。1940年1月にZG 1/第I飛行隊の指揮官に着任したヴォルフガング・ファルク大尉はBf 110がオステルマンには少し大きすぎると考え、4月7日にオステルマンを当時メンヒェングラートバッハに駐留するメッサーシュミット Bf 109を装備した第21戦闘航空団(JG 21)/第I飛行隊へ転属させた。JG 21は第27戦闘航空団(JG 27)の戦闘航空団司令のマックス・イーベル中佐の指揮下にあった。 オステルマンは1940年5月20日にフランス侵攻作戦中の2機のうち最初の1機の撃墜を記録した。2機編隊のロッテでオステルマンはフリッツ・マルクス(Fritz Marcks)伍長(Unteroffizier)を僚機としており、ギュンター・ショルツ(Günther Scholz)中尉に率いられた4機編隊のシュヴァルムがアミアン近郊でフランス空軍の8機のモラーヌ・ソルニエ MS.406と会敵したときにオステルマン、マルクス、ショルツは各々1機を撃墜した。2機目の記録は5月26日に撃墜したカーチス ホーク75であり、正対航過射撃で2発の20mm機関砲弾が敵機の尾翼を粉砕してその大きな破片がオステルマン機の右主翼と接触した。フランス機のパイロットは脱出するのが目撃され、オステルマンは何とか自機を無事に着陸させた。 JG 21/第I飛行隊が英仏海峡沿岸地域への移動命令を受けたときに飛行隊は第54戦闘航空団(JG 54)/第III飛行隊に改称された。8月12日のオステルマン3機目の撃墜記録は、英第610飛行隊のE・B・B・スミス(E.B.B. Smith)大尉だった可能性がある。スミスは乗機のスーパーマリン スピットファイア(K9818)から脱出し、海峡から救出されて入院した。10月8日にオステルマンは累計7機目、バトル・オブ・ブリテンでの5機目を撃墜した。撃墜されたのは当日ロンドン外環南クロイドンの西、サットン近郊に駐留していた第303ポーランド戦闘飛行隊のハリケーン Mk. I(R4175)に搭乗中に戦死したチェコ人のヨゼフ・フランチシェク軍曹であったらしい。フランチシェクの墜落死の原因は定かではない。オステルマンの申告とは別に(Max Clerico)少尉と(Fritz Oeltjens)軍曹も同じ時間、同じ空域で各々1機の撃墜を申告した。1940年9月5日にJG 54/第III飛行隊の飛行隊長が作戦任務から帰還せず、戦闘航空団司令のハンネス・トラウトロフトはギュンター・ショルツ(Günther Scholz)中尉を飛行隊の臨時の指揮官に任命した。第7飛行中隊の指揮官の地位はハンス=エッケハルト・ボプ中尉が埋め、エッケハルト・ボプはオステルマンの指導官の一人となった。9月30日の護衛任務の最中にボプとオステルマンは各々スピットファイア1機を撃墜したが、その帰路にオステルマンの僚機が銃撃を受けベクスヒルに不時着せざるを得なくなった。墜落したパイロットは僚機に向け無線でこう送信した: Spinat vier meldet sich ab nach Kanada—「シュピナート4はカナダから状況を報告する。」 10月20日にあげた戦果の英第74飛行隊所属のスピットファイアは、オステルマンが撃墜した6機目の英空軍の戦闘機であり(累計撃墜数で8機目)、バトル・オブ・ブリテン期間での最後の戦果となった。翌日、JG 54/第III飛行隊は配置換えの命令を受けた。長い期間前線任務から外された後の5ヵ月後にJG 54は、ユーゴスラビアのベルグラードで発生した英国に同調する「クーデター」に対処するために南東へ移動した。オステルマンの9機目の戦果は、(Karlo Štrebenk)の操縦するユーゴスラビア王国空軍のメッサーシュミット Bf 109 E-3であった。Štrebenkの戦死はバルカン半島の戦いの最中、1941年4月6日のベルグラード上空のことであった。
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