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富永鴻

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/01 15:21 UTC 版)

富永鴻

富永 鴻(とみなが こう、1880年明治13年)12月13日[1] - 1937年昭和12年)5月15日[2])は、日本の内務警察官僚。官選県知事長崎市長

経歴

静岡県城東郡、のちの大須賀村(小笠郡横須賀町大須賀町を経て現掛川市)出身[3]衆議院議員富永発叔の二男として生まれ、富永ひでの養子となる[4]第三高等学校を卒業。1905年東京帝国大学法科大学を卒業。1906年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し台湾課属となる[4][5]

以後、鹿児島県事務官兵庫県事務官、神奈川県事務官、同県港務部長、徳島県警察部長、宮城県警察部長、石川県内務部長、山梨県内務部長などを歴任[4]

1921年6月、佐賀県知事に就任[4]1924年7月、長崎県知事に転任。1927年3月に辞任し[6]退官[5]。長崎市長に就任し、1931年3月まで在任。その後、長崎商工会議所顧問、大日本人造肥料監査役を務めた[2]

栄典

親族

父親の富永發叔(辰次郎,1833~1919年)は横須賀藩目付役・普請奉行等を経て、維新民部省工部省三潴県長崎県などの官吏を歴任し、明治35年に衆議院議員となった[8]

姉の計伊(銈)は園田孝吉の妻、もう一人の姉トシの子に河津暹[9]。妻の愛は札幌病院長馬島讓の娘で、その兄馬島渡は北海道拓殖銀行重役、姉たちは宮内省侍医の田澤敬輿、農商務省特許局長の崎川才四郞、工学博士五十嵐秀助の長男などに嫁いだ[9][10]

脚注

  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、400頁。
  2. ^ a b 『朝日新聞』(東京本社発行)1937年5月16日朝刊、13面の訃報より。
  3. ^ 『大日本人物史 : 銀婚記念 1925年』大日本人物史編纂社、1925年、と14頁。
  4. ^ a b c d 『新編日本の歴代知事』995頁。
  5. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』188頁。
  6. ^ 『新編日本の歴代知事』1021頁。
  7. ^ 『官報』第93号「叙任及辞令」1927年4月23日。
  8. ^ 第3回東京の横須賀藩士たち(3) 三谷充弘、東京掛中・掛川西高校同窓会東京冀北会
  9. ^ a b 富永鴻 (男性)『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  10. ^ 池田文書の研究(46)池田文書研究会、日本医史学雑誌 第59巻第3号(2013)

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。


公職
先代
錦織幹
長崎市長
10代:1927-1931
次代
草間秀雄



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