錦織幹とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 錦織幹の意味・解説 

錦織幹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/22 14:23 UTC 版)

錦織幹

錦織 幹(にしきおり かん、1874年明治7年)12月7日[1] - 1955年昭和30年)7月28日[2])は、内務官僚長崎市長

経歴

愛媛県出身。 父は判事を務めた錦織義弘・リウの子[3]1896年(明治29年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業[1]1899年(明治32年)に高等文官試験に合格した[1]。内務属、秋田県参事官鹿児島県参事官、山形県事務官長崎県港務長、島根県事務官、山梨県内務部長、千葉県内務部長[4]新潟県内務部長[5]などを歴任した[1]1917年(大正6年)に休職となった後は[5]、日本スレートアスフハルト工業株式会社取締役、証券交換所株式会社取締役を務めた[6]

1922年(大正11年)、長崎市長に選出された[7]1926年(大正15年)11月10日に退任するまで4年間在職した。正五位勲四等。享年82歳。墓所は多磨霊園[2][3]

脚注

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。 
  • 『長崎市制五十年史』長崎市、1939年。 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「錦織幹」の関連用語

錦織幹のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



錦織幹のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの錦織幹 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS