青木善祐とは? わかりやすく解説

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青木善祐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/03 14:31 UTC 版)

青木善祐
あおき よしすけ
生年月日 1892年11月1日
出生地 日本 宮崎県東臼杵郡延岡町
(現・宮崎県延岡市
没年月日 (1974-08-14) 1974年8月14日(81歳没)
出身校 中央大学専門部法科卒業
前職 長崎市助役

第11代 延岡市長
当選回数 1回
在任期間 1956年4月21日 - 1960年4月18日

官選 第6代 宮﨑市長
在任期間 1941年1月21日 - 1945年1月20日

官選 長崎市長
在任期間 1938年8月29日 - 1940年3月11日
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青木 善祐(あおき よしすけ、1892年明治25年〉11月1日[1] - 1974年昭和49年〉8月14日[1])は、日本内務官僚政治家長崎市長宮崎県宮崎市長延岡市長を歴任した。

経歴

宮崎県東臼杵郡延岡町(現在の延岡市)出身[2]師範学校を卒業した後、1917年大正6年)に中央大学専門部法科を卒業し、翌年に高等試験に合格した[2]鉄道院書記を経て、内務属、茨城県警視岡山県理事官熊本県事務官・地方課長、大阪府事務官・地方課長、同商務課長、山形県書記官・学務部長、同警察部長、熊本県書記官・警察部長を歴任した[2]

1935年(昭和10年)11月2日、長崎市助役に就任[3]1938年(昭和13年)8月29日、助役を退任し、長崎市長となった[3]1940年(昭和15年)3月11日、市長を退任した[3]

その後、1941年(昭和16年)1月21日から1945年(昭和20年)1月20日まで第6代宮崎市長を務めた[4]

戦後、公職追放となった[5]

1956年延岡市長選挙

1956年(昭和31年)、延岡市長選挙に社会党延岡市支部の支援を受けて立候補して、初当選を果たして第11代市長となった[6]


※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)

候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率 推薦・支持
青木善祐 63 - 23,264票 48.2% -
仲田又次郎 - - - 19,528票 40.5% -
佐藤千吉郎 - - - 5,455票 11.3% -

4月21日に就任した[7]

1960年延岡市長選挙

1960年(昭和35年)の市長選挙に立候補したが、折小野良一に敗れて落選した[8]


※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)

候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率 推薦・支持
折小野良一 41 - 26,793票 49.8% -
青木善祐 67 - 25,654票 47.6% -
河野孔明 - - - 1,407票 2.6% -

4月18日に退任した[7]

脚注

  1. ^ a b 日本の歴代市長 第3巻 p.695 1985.
  2. ^ a b c 長崎市制五十年史 p.87 1939.
  3. ^ a b c 長崎市制六十五年史 前編 406コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 宮崎市史年表 443コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛宮崎市」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、20頁。NDLJP:1276156 
  6. ^ 延岡市史 81コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ a b 日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み 第3巻 361コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 延岡市史 82コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

  • 『長崎市制五十年史』長崎市、1939年。 
  • 『日本の歴代市長 第3巻』歴代知事編纂会、1985年。 



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