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折小野良一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/30 04:33 UTC 版)

折小野良一
おりおの りょういち
生年月日 1919年1月25日
出生地 日本 鹿児島県薩摩郡宮之城町
(現・さつま町
没年月日 (1986-10-20) 1986年10月20日(67歳没)
出身校 京都帝国大学法学部卒業
前職 延岡市助役
所属政党 民主社会党、民社党
称号 正五位
勲三等旭日中綬章

選挙区 旧宮崎1区
当選回数 2回
在任期間 1967年1月29日 - 1969年12月2日
1972年12月10日 - 1976年12月9日

当選回数 2回
在任期間 1960年4月19日 - 1966年12月1日
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折小野 良一(おりおの りょういち、1919年1月25日[1] - 1986年10月20日[1])は、昭和期の地方公務員政治家衆議院議員(2期)、延岡市長(2期)。

経歴

鹿児島県薩摩郡宮之城町(現さつま町)出身[1]1935年旧制宮崎県立妻中学校(現:宮崎県立妻高等学校)卒業[2]1938年第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)卒業[2]1941年京都帝国大学法学部[1][2]延岡市総務課長を経て、同市長三浦虎雄によって助役に起用。1960年延岡市長選挙に立候補。現職の青木善祐を1139票差で破り初当選。延岡市長を戦後初めて2期務める。1965年、助役に房野博(後に延岡市長)を起用。1966年、衆議院議員総選挙立候補のため延岡市長退任。1967年の第31回衆議院議員総選挙宮崎1区民主社会党から出馬し、初当選。1969年の第32回衆議院議員総選挙では、落選。1972年の第33回衆議院議員総選挙で返り咲く。1976年の第34回衆議院議員総選挙には出馬せず、政界引退。1986年10月20日死去、67歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、正八位から正五位に叙される[3]

脚注

  1. ^ a b c d 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』149頁。
  2. ^ a b c 『現代人物事典 出身県別 西日本版』サン・データ・システム、1980年6月、1878頁。
  3. ^ 『官報』第17913号9-10頁 昭和61年10月29日号

参考文献

公職
先代
第11代:青木善祐
延岡市長
第12-13代:1960年 - 1966年
次代
第14-16代:房野博



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