新ばんば踊りの誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/09 16:01 UTC 版)
ばんば踊りが戦後に廃れた一方で、1962年(昭和37年)に当時の延岡市長、折小野良一が「ばんば音頭の節を基本に市民のだれにも親しまれ愛されるふるさと音頭を」と、地元出身の作曲家並岡龍司・権藤円立に制作を依頼し、踊りも日本フォークダンス連盟の指導により振付されたものが「新ばんば踊り」である。歌詞には「城山の鐘」、「若山牧水の名歌」、「あゆやな」といった延岡の伝統的な物が歌い回わされているが、2番の歌詞には延岡を流れる川々、3番の歌詞には「6つのマンモス工場」・「工都延岡」と、旭化成の企業城下町である延岡の姿を歌うなど、「伝統都市延岡」、「水都延岡」、「工都延岡」といた様々な姿を織り込んだ歌詞となっている。現在では「ばんば踊り」といえば「新ばんば踊り」を指すほど定着しているが、古来のばんば踊りも保存会により継承されている。 「新ばんば踊り」は「新ばんば」と略され、県南の「いもがらぼくと」と並ぶ、宮崎県の盆踊りとしても有名である。
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