円熟期・晩年
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1956年より、『アサヒ芸能』(徳間書店)で、連載漫画『仙人部落』を開始。1974年からは『ビッグコミックオリジナル』(小学館)で『ヒゲとボイン』の連載を始め、いずれも晩年まで続いた長期連載となった。1980年からは朝日新聞の政治漫画を担当した。 1965年に、自身の制作事務所「コオプロ」を設立。1973年には劇画の隆盛に対抗するため、加藤芳郎とナンセンス漫画復権を目指す同人誌『ユーモリスト』を発刊した。 漫画連載のかたわら、テレビタレントとしても活動した。1964年、東京12チャンネル(現・テレビ東京)開局と同時に開始されたニュースワイド番組『朝日新聞・ワイドニュース』にレギュラー出演し、時事問題を風刺したイラストを発表した。また、1965年より約18年にわたって、日本テレビ放送網の深夜番組『11PM』にレギュラー出演した。同番組ではとぼけたキャラクターで大橋巨泉・朝丘雪路らとのミニコント風のやりとりを披露し、お茶の間の人気を呼んだ。 1974年に日本酒メーカー・黄桜のマスコットキャラクター「河童」のキャラクターデザインを初代デザイナーの清水崑から引き継ぎ、素朴な清水のイラストとは対照的な、セクシーな「女かっぱ」などのデザインを手掛け、キャラクターを用いたアニメーションによるテレビCMが長く放映された。1984年から2014年にかけては下呂温泉の観光PRポスターのイラストを製作した。 2014年11月に脳出血で倒れ、2015年4月14日朝、東京都港区の病院で死去した。墓所は寛永寺。
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