円環作戦
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「ナゴルノ・カラバフ戦争」の記事における「円環作戦」の解説
詳細は「円環作戦(英語版)」を参照 やがて、ナゴルノ・カラバフ全域で両民族は自衛のために武装を開始した。ムタリボフはアルメニア人住民の武装解除のための共同軍事作戦をゴルバチョフへ提唱し、1991年4月末、シャウミャノフスク地区の村からアルメニア人を強制的に排除するための、ソ連軍とアゼルバイジャンのOMON (en) による「円環作戦」が開始された。装甲車や火砲も投入されたこの作戦に対しては、複数の国際人権団体から重大な人権侵害であるとの指摘がなされている。この作戦はソ連政府とアルメニア政府の双方により、アルメニア人の統一主張に対する威圧であるとみなされている。 2006年には、この時期のナゴルノ・カラバフを描く、アルメニア史上最高額である380万ドルを投じて制作されたフィクション映画『運命』«Ճակատագիր» が公開されている。 1991年後半に入り、アルメニア人民兵らはOMONによって占領された村のうち、放火を免れていたものの奪還を試みた。「メモリアル」によれば、この際の攻撃でシャウミャン地区およびその周辺で数千人のアゼルバイジャン人が住居を失ったという。また、いくつかの村ではアルメニア人民兵による放火や暴行も報告されている。晩秋になりアゼルバイジャン側が抵抗を始めると、アルメニア側はアゼルバイジャン人の村を標的に選ぶようになった。メモリアルによれば、マリベイリ(ロシア語版)やユハリ・クシチュラル(ロシア語版)など、以前ステパナケルトに対して継続的に砲撃を加えていたアゼルバイジャン人の村をアルメニア人が襲撃して放火を行い、数十人の住民を殺害したという。相手方の村落が砲撃のための戦略拠点になっていたとの批判は、双方から行われている。
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