公開と普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 02:17 UTC 版)
ヴァイタスコープの最初の商業上映は、1896年4月23日にニューヨークのブロードウェイにある劇場コスター・アンド・バイアル・ミュージック・ホール(英語版)で行われた。ヴァイタスコープの上映は「トーマス・エジソンの最新の驚異、ヴァイタスコープ」という演目名で、曲芸や芝居などのバラエティ・ショーと並ぶプログラムに組み込まれた。上映プログラムには12本の作品が記されていたが、実際に上映されたのはキネトスコープ用作品の『傘のダンス』『バンド・ドリル』『滑稽なボクシング』『アナベルのサーペンタインダンス』と、新作の『モンロー主義』、イギリスのロバート・W・ポールが撮影した『ドーヴァーの荒波(英語版)』の6本だけだった。そのうち『アナベルのサーペンタインダンス』は手彩色による着色版で上映された。この上映会はアメリカで最初に高い商業的成功を収めた、映写式による有料映画上映となった。 1896年5月、ラフとガモンはエジソン社の販売代理店であるヴァイタスコープ社を設立し、アメリカの投資家に特定の州や地域で独占的にヴァイタスコープを公開する権利を販売した。それ以後ヴァイタスコープはアメリカのさまざまな都市で上映され、ボストンでは5月18日、フィラデルフィアでは5月25日、プロビデンスでは6月4日、サンフランシスコでは6月8日、ボルチモアでは6月15日、ニューオーリンズでは6月28日、デトロイトでは7月1日、シカゴとロサンゼルスでは7月5日、ミルウォーキーとカンザスシティでは7月26日、デンバーでは8月16日に初公開された。多くの場合、ヴァイタスコープはヴォードヴィル劇場で人気の出し物として上映されたり、店舗を改装した興行施設で見せられたりした。 しかし、すぐにヴァイタスコープは競合会社との市場競争に直面した。1896年6月下旬にはシネマトグラフがアメリカに上陸し、9月までに10数台のシネマトグラフが全米の主要都市で上映された。その他にも数多くの映写機が市場に出回っていたが、それらの多くはヴァイタスコープよりも安価で質が良く、地域的独占権による制限なしに購入することができた。このような市場ではヴァイタスコープが売れることはなく、同年10月までにヴァイタスコープ社の事業は崩壊した。また、上映用フィルムも地域的独占権を与えた投資家にのみ販売していたため、利益にはならなかった。そこでエジソン社はラフとガモンとの関係を見直し、フィルムを誰にでも販売できるようにした。1897年2月にはエジソンが独自に開発した「映写式キネトスコープ(またはプロジェクトスコープ)」を制限なしに販売し、ヴァイタスコープの販売を止めた。
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