全米デビューおよびスターダム
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「ブレンダ・リー」の記事における「全米デビューおよびスターダム」の解説
1955年2月、出演料30ドルのスワインボロのラジオ局の仕事を断り、ABCテレビ『Ozark Jubilee 』のオーガスタでの番組宣伝のために来ているレッド・フォーリーに会いに行った。オーガスタのディスク・ジョッキーが番組前にフォーリーに彼女の歌を聴いてみるように説得した。小さな少女から発せられる大声に皆と同様にフォーリーも釘付けになり、その夜のステージでリハーサルなしで彼女に『Jambalaya 』を歌わせることを即決した。フォーリーはこの時のことについて以下のように語った: .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}私は今でも初めてあの声を聴いた時のことを思い出すと鳥肌が立つ。彼女は片足を草原の火を踏みつけるようにリズムを取り始めたが、あの小さな体の他の部分は微動だにしない。彼女の声の魔法は私に舞台を降りることを忘れさせるほどの衝撃だった。観客の前での振る舞い方を26年間学んだつもりであったが、私の口は2マイル(約3km)に広がり目が点になったようだった 観客はパンチの効いた独自の歌唱力に大いに盛り上がり、さらに3曲を歌い終えるまで舞台を降りさせなかった。1955年3月31日、10歳でミズーリ州スプリングフィールドの『Ozark Jubilee 』で全米デビューした。5年間の番組出演契約は母親とマネージャーが起こした訴訟により破棄されたが、彼女は番組終了までレギュラー出演し続けた。 2ヶ月弱後の1956年7月30日、デッカ・レコードは契約を持ち掛け、彼女の1枚目のシングル・レコードはA面『Jambalaya 』、B面『Bigelow 6‑200 』となった。2枚目のシングルはクリスマス曲『I'm Gonna Lasso Santa Claus 』、『Christy Christmas 』であった。1956年12月11日に12歳になったが、これら最初のデッカのシングルでは「リトル・ブレンダ・リー(9歳)」とクレジットされた。 1956年の以上のシングルはチャート入りしなかったが、ヒュー・アシュリー作曲の1957年の1枚目『One Step at a Time 』はポップおよびカントリー双方のチャートでヒットした。次のヒット曲『Dynamite 』では身長が明かされ、「リトル・ミス・ダイナマイト」とニックネームがつけられ、その後も使用され続けている。 当初カントリーの会場や公演で人気が出たが、レーベルおよびマネージメントはポップ歌手として売り出すのがベストと考え、その結果1960年代のカントリーのラジオ局では知られたヒットがなく、ナッシュビルの名演奏家たちとカントリーのサウンドで演奏していたにも関わらず1969年の『Johnny One Time 』までカントリーでのヒット曲がなかった。
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