作品別推定年代
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「シェイクスピアの推定執筆年代」の記事における「作品別推定年代」の解説
書籍出版業組合記録への登録、出版の日付、フランシス・ミアズのリストを元に年代順に並べる。その他の証拠、創作年代説は箇条書きにする。失われた作品、外典は斜体とする。 ヴィーナスとアドーニス(詩)(1593年4月18日登録/同年出版) タイタス・アンドロニカス(1594年2月6日登録/同年出版/1598年『知恵の宝庫』) アーデン版の編者ジョナサン・ベイトは創作年代を1584年から1589年頃だと推定している。 ヘンリー六世 第2部(1594年3月12日登録/同年出版) フィリップ・ヘンスローの日記に1592年3月3日にLord Strange's Menが『ヘンリー六世』を上演したと書かれてある。 ルークリース凌辱(詩)(1594年5月9日登録/同年出版) ヘンリー六世 第3部(1595年出版) 1592年にロバート・グリーンがパロディにしている。 エドワード三世(1596年出版) ロミオとジュリエット(1597年出版/1598年『知恵の宝庫』) アーデン版の編者ブライアン・ギボンズは創作年代を1591年から1595年のいつかと推定している。 リチャード二世(1597年8月29日登録/1598年出版/1598年『知恵の宝庫』) リチャード三世(1597年10月20日登録/同年出版/1598年『知恵の宝庫』) 恋の骨折り損(1598年出版/1598年『知恵の宝庫』) アーデン版の編者はじめ多くの研究者は1595年か1596年に書かれたものと推定している。 ヘンリー四世 第1部(1598年2月25日登録/同年出版/1598年『知恵の宝庫』) ケンブリッジ版の編者ハーバート・ウェイルとジュディ・ウェイルは1597年までに上演されたのは間違いないとしている。 ヴェニスの商人(1598年7月22日登録/1598年『知恵の宝庫』/1600年出版) ヘンリー六世 第1部(1598年登録/1623年出版「ファースト・フォリオ」) 1592年8月登録のトマス・ナッシュ(Thomas Nashe)の戯曲『Pierce Penniless』にタルボット卿を扱った人気劇への言及がある。『ヘンリー六世 第2部』『第3部』より前に書かれたのなら創作年代はその前になる。 間違いの喜劇(1598年『知恵の宝庫』/1623年出版「ファースト・フォリオ」) ミアズのリストでは「Errors」とある。 1594年12月28日に『The Night of Errors』という劇が上演されたという記録がある。オックスフォード版の編チャールズ・ウィトワースチャールズ・ウィトワースは創作年代を1594年と推定している。 ジョン王(1598年『知恵の宝庫』/1623年出版「ファースト・フォリオ」) オックスフォード版の編者スタンリー・ウェルズとゲイリー・テイラーは創作年代を1595年か1596年と推定している。 『ジョン王の乱世』も参照。 ヴェローナの二紳士(1598年『知恵の宝庫』/1623年出版「ファースト・フォリオ」) 恋の骨折り甲斐(1598年『知恵の宝庫』/失われた戯曲? 他の喜劇の別名?) 長く『じゃじゃ馬ならし』のことではないかと言われてきたが、1603年のクリストファー・ハントの記録では『じゃじゃ馬ならし』と別の作品になっていた。 夏の夜の夢(1598年『知恵の宝庫』/1600年10月8日登録/同年出版) ヘンリー四世 第2部(1600年登録/同年出版) ヘンリー五世(1600年8月14日登録/同年出版) プロローグにエセックス伯によるアイルランド遠征(1599年)への言及がある。オックスフォード版の編者はエセックス伯の言及から創作年代を1599年初め頃と推定している。 お気に召すまま(1600年8月4日登録/1623年出版「ファースト・フォリオ」) 空騒ぎ(1600年出版) ノートン版の編者は初演を1598年から1599年の秋か冬と推定している。 不死鳥と雉鳩(詩)(1601年出版) ウィンザーの陽気な女房たち(1602年1月18日登録/同年出版) ハムレット(1602年7月26日登録/1603年出版) 登録の際「最近上演」とされていた。 『原ハムレット』も参照。 トロイラスとクレシダ(1603年2月7日登録/1609年出版) リア王(1606年12月26日登録/1608年出版) 創作年代は普通1603年から1606年の間とされるが、アーデン版の編者R.A. Foakesは1605年から1606年と推定している。 『レア王』も参照。 アントニーとクレオパトラ(1608年5月登録/1623年出版「ファースト・フォリオ」) ペリクリーズ(1609年出版) ソネット集(1609年出版) オセロ(1621年10月6日登録/1622年出版) 1604年11月1日にホワイトホール宮殿で上演したとの記録がある。文体論的に見て、創作年代は一般に1603年か1604年とされるが、1601年か1602年とする意見もある。 じゃじゃ馬ならし(1623年出版「ファースト・フォリオ」) フィリップ・ヘンスローの1594年6月13日の日記に『the Tamynge of A Shrowe』という劇の上演のことが書かれている。 1603年のクリストファー・ハントのリストに入っている。リヴァーサイド版の編者は創作年代を1590年から1594年の間と推定している。 ジュリアス・シーザー(1623年出版「ファースト・フォリオ」) 1599年9月21日にロンドンのグローブ座でこの劇を見たとトマス・プラッターが言及している。 十二夜(1623年出版「ファースト・フォリオ」) 法学生ジョン・マニンガムは1602年2月2日に法曹院の1つMiddle Templeでこの劇を見たと書いている。 マクベス(1623年出版「ファースト・フォリオ」) 1611年4月にグローブ座でこの劇を見たとサイモン・フォアマンは書いている多くの研究家は1603年から1606年の間に書かれたと信じている 尺には尺を(1623年出版「ファースト・フォリオ」) 1604年12月26日に上演されたという記録がある。 シンベリン(1623年出版「ファースト・フォリオ」) 1611年の春にこの劇を見たとサイモン・フォアマンは書いている。 テンペスト (シェイクスピア)(1623年出版「ファースト・フォリオ」) 1611年11月1日にホワイトホール宮殿のジェームズ1世の御前で国王一座によって上演されたという記録がある。 終わりよければ全てよし(1623年出版「ファースト・フォリオ」) 冬物語(1623年出版「ファースト・フォリオ」) 1611年11月5日に王宮で上演されたという記録がある。多くの評論家は創作年代を1610年か1611年としている。 ヘンリー八世(1623年出版「ファースト・フォリオ」) 1613年6月29日にこの劇を上演していてグローブ座が全焼したという記録が多数ある。 コリオレイナス(1623年出版「ファースト・フォリオ」) アテネのタイモン(1623年出版「ファースト・フォリオ」) 二人の貴公子(1634年4月8日登録/同年出版) 1614年のベン・ジョンソンの戯曲『バーソロミューの市』に主人公パラモンへの言及がある。 カルデーニオ(1653年9月9日登録) 1613年に国王一座が上演したという記録がある。
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