劇の上演
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 10:23 UTC 版)
ポンペーの間にデュオニューソス劇場は仔豚を生贄にして清められた。伝説によれば、紀元前534年ディオニューシア祭で初めて悲劇が、その名が「thespian」(俳優)の語源となる劇作家兼俳優のテスピスにより上演された。彼に与えられた賞品はデュオニューソスの象徴であるヤギだったが、これは「ヤギの歌」を原義とするであろう「tragedy(悲劇)」の語源になった。 翌3日は悲劇の上演に充てられが、1日に3作の悲劇と1作のサテュロス劇が演じられた。アイスキュロス、エウリピデス、ソポクレスらの作品を含め、現存しているギリシア悲劇のほとんどがディオニューソス劇場で公開された。アルコン、エピメレタス、審査員(アゴノテタス)は最前列で鑑賞した。 喜劇作家が市のディオニューシア祭に公式に参加したのは紀元前487年ないし486年からで、祭6日目に喜劇5作品が上演された。喜劇はディオニューシア祭では二次的なものであり、むしろ年始に行われるレナイア祭において重要だった。しかしディオニューシア祭で受賞する方がより大きな名誉であると考えられていた。 紀元前5世紀の古典時代以降は過去の作品が再演されるようになったが、これは観衆が質の劣る新しい作品よりも古い作品の再演の方を好んだことによるらしい。また演じられる劇の数もまた変わり、ペロポネソス戦争の間は通常上演される喜劇は3作だけだったが、紀元前2世紀になると喜劇は全く上演されなくなった。2世紀以降悲劇の新作は見られなくなったようで、この時点では古い作品だけが上演された。
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