作品の由来とコンディション
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 14:35 UTC 版)
「ラス・メニーナス」の記事における「作品の由来とコンディション」の解説
『ラス・メニーナス』は、最初期の目録では『ラ・ファミリア(家族)』として登録されている。1724年、スペイン黄金世紀のジョルジョ・ヴァザーリともいうべきアントニオ・パロミーノにより、『ラス・メニーナス』についての詳細が出版されており、いくつかの人物像のモデルが判別されている。作品を赤外線で調べた結果、若干のペンティメント、すなわち画家自身の手による変更点が発見された。例を挙げると、最初ベラスケス自身の頭は、向かって右よりもむしろ左に傾いていた。 『ラス・メニーナス』は、作品の元のサイズより、左右とも切り落とされて小さくなっている。1734年には、アルカサル(城)を壊滅させた火災により作品も損傷を受け、宮廷画家のホアン・ガルシア・デ・ミランダ( 1677 – 1749年 )の手で補修された。王女の左頬は、顔料の損失がかなりひどかったため、ほとんど全部塗り直されることになった。火災から救出された後の1747 ~ 1748年、『ラス・メニーナス』は王室コレクションの一部として目録に掲載された。この時に、マルガリータ王女は、異母姉のマリー・テレーズ・ドートリッシュと誤認され、1772年に新マドリード王宮の目録を作成した際にもそのままになっていた。1794年の目録では、初期のタイトル『フェリペ4世の家族』で登録され、1814年の目録作りの際もそのままだった。1819年のプラド美術館の創設により、そのコレクションに加えられた。1843年、プラド美術館のカタログに初めて『ラス・メニーナス』のタイトルで掲載されている。 近年『ラス・メニーナス』は、テクスチャーや色調に損傷が見られるようになってきた。汚れと、訪問する群衆への露出が原因で、「女官」の衣装の青と白の顔料も、かつては鮮明に対比していたものが弱まってきた。1984年、アメリカの美術修復人ジョン・ブレアリーのもと、19世紀の補修以来溜まった埃の「黄色のベール」を取り払ったのが最新のクリーニングである。このクリーニングは激しい抗議を受けたが、芸術歴史家のフェデリコ・ゼリによれば「いかなる形であれ、絵が損傷を受けたためではなく、見た目が変化したためである」という。しかしロペズ=レイの意見では、「修復には非の打ちどころがない」という。 『ラス・メニーナス』は、そのサイズ、重要性、価値のため、展示のためだけに貸し出されることはない。
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