作品の生まれたきっかけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 01:43 UTC 版)
「痛車でいこう!!」の記事における「作品の生まれたきっかけ」の解説
山本が自動車マニアがらみの仕事として、『痛車倶楽部』に痛車の取材漫画を描いた(後述の「エピソード一覧/特別付録」参照)。この時に1号掲載分で「自分の車を痛車に」と軽い気持ちで言った所、2号で半ば強引に本当の痛車にされてしまった。この特別付録版は漫画原稿枠のサイズがヤンマガ版と微妙に異なる、ヤンマガ版第1話と内容やシチュエーションにダブりがあるなどの特徴を持ち、ヤンマガ版に対するパイロット版とも言える。 痛車がブームでありながら、メジャーな漫画雑誌ではまだ痛車漫画がまだ存在しなかったため、さらに編集が「山本がやらねば誰がやる!?」と言い(『新造人間キャシャーン』のオープニングナレーションのもじり)、『ヤンマガ』で『奇食ハンター』を一時休載、2009年3月から連載が始まった(毎週律儀に「『奇食ハンター』は休載中です」と明記されていた)。当初は4回予定だったが好評につき延長、最終的に単行本1冊が出せるほどの量となった。 連載後半では読者からのタレコミが増え、執筆対象としては楽になったが、山本自身はマニア向けの漫画・アニメはあまり知らず、その方面では苦労したと語っている(本編でも山崎のアニメオタク話にキレて山崎を殴るシーンがあるほか、mixiの公開プロフィールでも「マニア向けの漫画・アニメばかり語られたら怒る事がある」と書き添えている)。
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