作品の発表と当時の反響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/22 08:43 UTC 版)
「世界の複数性についての対話」の記事における「作品の発表と当時の反響」の解説
フォントネル29歳の時の著作である。出版前の1686年1月には「メルキュール・タウン」誌で、「女性に優しい体裁のもので粗野なところが全くなく」と紹介された。 同年に出版されたが、最初は匿名での発表であった。しかし同年5月に、ピエール・ベールによって、著者はフォントネルであることが明かされた。出版後はその年のうちに3版を重ねる売れ行きを示した。翌1687年にはカトリックの禁書目録に載せられたが、その後も版を重ね、フォントネル生前の1757年までに33版に達した。また英語やイタリア語、ドイツ語などに訳され、ヨーロッパ中で読まれるようになった。
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