作品の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 06:51 UTC 版)
清瀬は1981年に亡くなり、紺野の作品を知る人は誰もいなくなった。終戦から50年を経た1995年夏、清瀬の資料を整理していた音楽評論家の小宮多美江が、紺野の作品の入っている封筒を偶然発見した。小宮は1982年に清瀬保二を取り上げたアマチュア・オーケストラ新交響楽団の日本の交響作品展の企画に関わって以来、清瀬の研究に取り組んでいた。清瀬の資料は日本近代音楽館に収蔵されていたので、小宮はそれを調査する中で紺野の楽譜を発見したのである。「紺野陽吉君遺稿」と書かれた封筒の中には、紺野が作曲した「木管三重奏曲」「弦楽二重奏曲」「弦楽三重奏曲」の手書き譜が入っていた。
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