住民虐殺の問題性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/22 23:22 UTC 版)
「久米島守備隊住民虐殺事件」の記事における「住民虐殺の問題性」の解説
鹿山が朝日新聞に語ったインタビューにこの時の心情が垣間見える。また7月までには陸軍がくるはずと認識していることが伺えるため、彼はすでに6月23日に沖縄戦が終結したことを知らなかった可能性もある。 これら一連の虐殺事件は、終戦直後の混乱と日本政府からの管轄権分離という非常事態もあり、一切の刑事訴追を受けていない。そのため、事実上のクーデター未遂事件である宮城事件と同様に誰も罰せられることはなかった。 海軍刑法(明治四十一年法律第四十八号)の第1条は「本法ハ海軍軍人ニシテ罪ヲ犯シタル者ニ之ヲ適用ス」としており、一般日本人には適用されないと明記されている。また処刑するにしても軍法会議を経たうえで第16条は「海軍ニ於テ死刑ヲ執行スルトキハ海軍法衙ヲ管轄スル長官ノ定ムル場所ニ於テ銃殺ス」としており、一定の法的手続きを要求している。また日本国内でスパイとして処刑されたリヒャルト・ゾルゲは治安維持法等違反で処刑されたが、一般の刑事裁判で裁かれており、外地の戦場における占領地住民と同じように、内地であった沖縄県で部隊長の判断で処刑する権限は無い。 元兵曹長は軍法会議で処刑を決めず「住民からの情報」から判断して処刑したことについて、「われわれの部隊は少人数で大部隊のように軍法会議を開いてそういう細ごまとした配慮をするヒマはなかった」と語っている。実際に、軍法会議は大戦末期には戦場で孤立化した部隊が続出したことから法務官不在でも開廷された例もあり、少尉以上の士官が3人集まれば軍法会議をすぐ開催することができたうえに、戦時においては民間人にも特定の犯罪に関しては処断できるとされていた。そのため一般人にも適用された可能性もある。 また、海軍刑法22条の3で「軍事上ノ機密ヲ敵国ニ漏泄スルコト」(スパイ)と22条4では「敵国ノ為ニ嚮導ヲ為シ又ハ地理ヲ指示スルコト」は「罪」と規定されており、それに対する刑罰は20条で「首魁(首謀者)ハ死刑」と規定されているほか、そのほか謀議に入ったものも「死刑、無期若ハ五年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処シ」とするなど重罰が規定されていた。そのため大部隊のように少尉以上の士官が3人(それよりも少なくても即決で処刑が決められた場合も否定はできないが)集まれば軍法会議をすぐ開催することができたため、住民に対するスパイ容疑での処刑があった可能性がある。しかし久米島においては守備隊長の最高位が兵曹長であり尉官より下の下士官であった。そのため久米島では軍法会議の開催は事実上不可能であったといえるため、兵曹長に住民を処刑する権限はなかった。そのため、守備隊が住民を「合法的」に処刑することは、人道上の問題だけでなく、軍規にすら違反する行為であった。
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