以降 :昭和35年(1960)~現在
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「便利堂」の記事における「以降 :昭和35年(1960)~現在」の解説
昭和35年(1960年)に竹四郎が病没すると、竹四郎長男の中村桃太郎が事業を引継いだ。美術印刷の老舗として、また古美術の継承に携わることに事業特化する特徴は変わることなく便利堂の舵を取る。特筆すべきは『国宝事典』の刊行である。法隆寺金堂壁画焼失を契機に施行された「文化財保護法」の施行10周年を記念して昭和36年(1961)に刊行されたものである。刊行当時に国宝指定されている文化財が全件掲載されており、編集は文化財保護委員会(現文化庁)が担当するといった、信頼ある解説かつ利便性を兼ね備えた類書は現在も存在してない。無論、国宝指定文化財は毎年増えていくので、平成31年(2019)には最新の増補版・第四版が刊行されている。次には、明治38年から続くコロタイプ部門であるが、この時代はカラー印刷の普及が加速しており、モノクロ印刷であるコロタイプは衰退していた。国内のみならず世界中で同業者は軒並みコロタイプ部門を閉鎖していったのが、便利堂は独自の技術開発を経て、コロタイプの多色刷り・カラー化に成功、その第一号として、昭和41年(1966)に大英博物館「女史箴図巻」の複製品制作を完成させた。これによりカラーコロタイプによる完全複製が本格化した。また、昭和47年(1972)には「高松塚古墳」発掘に伴い、発掘直後の古墳内壁画を大きな困難を克服して撮影することに成功した。これまた、発掘直後の色彩を正確に記録した写真原版として非常に貴重なものであり、及びスタジオでの撮影でない様々な環境下で最適な撮影を行う技術力は、確実に後世に引継く必要があるだろう。このように明治・大正・昭和・平成そして令和と連綿と続いている便利堂であるが、現在の主要事業のひとつがコロタイプの継承である。便利堂コロタイプ工房は今や世界で唯一、精細なコロタイプ印刷物を制作することができる工房となった。コロタイプの伝統を護り、そして日々進歩するデジタル技術を積極的に採用するなど、次世代が受け継いでいくための新たな技術を生み出すことにも取組んでいる。
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