過去の時代の懸賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 00:03 UTC 版)
江戸時代は、感動した取組に対しては、見物客は自分の着物を土俵に投げてその意をあらわした。着物は後刻に力士自身や付け人の手で持ち主へ返され、持ち主はそれと引き換えに何らかの報償を手渡した。このような「投げ祝儀(投げ纏頭とも)」は1909年に旧両国国技館が建造されて以降正式に禁止行為となった。現在でも、大金星や番狂わせがあった時など記憶に残る一番で、会場に座布団が舞う光景が見られるのはこの習わしに由来するのだが、本来の意味はほぼ失われている。 天覧相撲や上覧相撲の勝者は特に、羽織、刀、弓などが下賜された。弓取り式は、寛政3年(1791年)の上覧相撲で将軍徳川家斉から弓を賜った谷風梶之助が、これを手に舞ってみせたのがはじまりとされている。現在でも本場所の千秋楽結び3番「これより三役」で、勝者に弓矢が贈られる。 懸賞制度は1949年(昭和24年)の1月から始まったが、当時の昭和20年代は戦後期だったこともあり、米・味噌などの食料品が懸賞に出されることも多かった。現在の様に一律の懸賞金になったのは1960年(昭和35年)の9月場所からである。
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