他ジャンルとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 03:58 UTC 版)
「パンク (サブカルチャー)」の記事における「他ジャンルとの関係」の解説
ニューヨーク・ドールズやデヴィッド・ボウイなどのグラムロックは、初期のパンク・ロックやプロトパンクやグラムパンクに大きな影響を与えた。 パンクとヒップホップは1970年代後半のニューヨークでほぼ同時期に生まれており、両者は相互に何らかの影響を与えあった。初期のヒップホップMCは自身をパンク・ロッカーと呼び、パンク・ファッションはヒップホップの服装にも見られた。マルコム・マクラーレンはイギリスにパンクとヒップホップの両方を紹介する役割を担った。ヒップホップはその後もパンクバンドやハードコアバンドに影響を与えており、Biohazard、The Transplants、Refused といったバンドがある。 1960年代末ごろのスキンヘッドのサブカルチャーは1970年代になるとほぼ消えうせていたが、パンク・ロック(特にオイ!)の影響で1970年代末ごろに復活した。逆に伝統的スキンヘッドが人気のあるスカやレゲエも何人かのパンク・ミュージシャンに影響を与えている。パンクスとスキンヘッドの関係は、社会的な状況、時期、場所によって、反目しあったり友好的だったりしており、一概には言えない。 パンクとヘヴィメタルのサブカルチャーは、パンクの発祥からやや類似性がある。1970年代初め、ヘヴィメタルはプロトパンクに影響を与えた。アリス・クーパーはパンクとメタルの両方に(ファッション、音楽の両面で)影響を与えた。デビューアルバムを1977年にリリースしたモーターヘッドは、その後もパンクにもメタルにも人気があり、ボーカルのレミー・キルミスターはパンク・ロックのファンだと公言している。メタルコア、グラインドコア、クロスオーバー・スラッシュといったジャンルはパンクやヘヴィメタルの影響を強く受けている。NWOBHMはディスチャージなどのパンクバンドに影響を与え、ハードコア・パンクはメタリカやスレイヤーといったスラッシュメタルバンドに影響を与えた。1990年代初めに生まれたグランジというサブカルチャーは、パンクのアンチファッション的理想とヘヴィメタルのギターサウンドの融合だった。しかし、ハードコア・パンクとグランジは1980年代に人気となったヘヴィメタルに対する否定的反応として発展した面もある。 インダストリアルやrivetheadというサブカルチャーは、音楽、ファッション、姿勢といった面でパンクと関係がある。 パンク最盛期、パンクスは一般大衆や他のサブカルチャーから毛嫌いされ攻撃された。1980年代のイギリスでは、パンクスはテディボーイ、グリーサー、バイカー、モッズ、他のサブカルチャーのメンバーとしばしば小競り合いを起こした。 1970年代後半、パンクスはヒッピーともイデオロギーなどの面で対立していた。しかし、クラスのメンバーペニー・ランボーは元はヒッピーであり、インタビューやエッセイ The Last Of The Hippies の中で、友人だった Wally Hope を記念してクラスを結成したと述べている。また、クラスは60年代から70年代を通してのヒッピーのムーブメントがクラスに大きく関わっているとしている(Dial Houseの創設は1967年)。パンクスの多くは、ヒッピーとの関わりという点でクラスには批判的だった。また、ジェロ・ビアフラもヒッピーに影響され、イッピーの思想を信条としている。しかし、彼の書いた歌詞はヒッピーに批判的な内容だった。
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