京都府警の取り調べ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:17 UTC 版)
「京都・大阪連続強盗殺人事件」の記事における「京都府警の取り調べ」の解説
逮捕後、廣田は18時に成東署を出て護送車に乗せられ、20時10分過ぎに東京駅に着くと、21時発の「ひかり541号」(名古屋行き)に乗車し、名古屋まで護送された。新幹線の車内で、廣田は「何か言いたいことはないのか」という報道陣の質問に対し、「京都府警にはヘタ売らしてやるが、千葉県警にはヘタ売らすわけにはいかん」と吐き捨てているほか、カメラマンに顔写真を撮影されると、「もうやめさせろ。俺、頭にくるぞ」と叫んでカメラマンに掴みかかったり、別のカメラマンに駅弁を投げつけ、足で蹴りかかったりした。廣田は当時の経緯について、当時両足の裏に「正常に歩行ができない程の傷」を負っていたにも拘らず、千葉県警の護送警察官によって無理矢理歩かされ、報道陣の前に連れ出されたことや、被疑者段階であるにも拘らず報道陣から犯人視されて罵声を浴びせられ、新幹線の車内でも護送員から弁当を渡されて食べたところ、報道陣から挑発を受け、最終的には「どこの部落の人間や!」「部落の人間でも箸を使ってメシを食うのか!」と罵られたことに憤慨し、駅弁を投げつけたことなどを主張している。また、取り調べ中に接見に来た弁護人から、ある新聞社が自身を被差別部落の出身者かどうか調査していると聞かされ、控訴審の公判中にその新聞社が毎日新聞京都支局であることを知り、同支局長の河北明宛てに謝罪を求める信書を出したが、河北は自分に対しその件を「調査する」と約束しながら、それを有耶無耶にしたという旨を主張し、「新聞屋」(新聞社のこと)を「人間の皮を被った化物」「『赤報隊』に射殺されるべき」と強く非難している。 23時16分、廣田は名古屋駅に到着し、駅前に待機していた京都府警の護送用ワゴン車に乗せられ、6日1時49分、西陣署に到着。7日午後、廣田は捜査本部から強盗殺人・銃刀法違反・火薬類取締法違反の容疑で京都地方検察庁に送検された。6日11時30分以降、廣田は西陣署内で本格的な取り調べを受けた。それ以降、同地検や京都府警捜査本部によって20日間にわたる取り調べが行われたが、廣田は犯行に関わる質問に終始供述を拒否した。一方、京都地検は8日、廣田を10日間拘置することを京都地裁に請求したが、京都地裁は「被害者 (A) が警察官であり、被疑者を警察の支配下(府警本部)に置くことは問題が多い」として、拘置場所を京都拘置所に指定し、廣田に対する接見禁止の申請も却下した。凶悪事件で、被疑者の拘置先が拘置所に制限指定されたことは極めて異例のことであり、京都地検は同決定への準抗告を行ったが、いずれも棄却された。 警視庁は5日の未明と早朝、廣田が江戸川河岸に現れていたことを把握し、13日から河岸を捜索したところ、14日に江戸川区篠崎町3丁目2番地先の江戸川大橋付近で、ボストンバッグを発見。バッグを売ったかばん店の店員の証言などから、廣田が曾根崎二丁目のピンクサロンの店員に買わせたものと断定した。
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