主な構成・特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 07:19 UTC 版)
入胎 母后が夢の中で金色の僧を見た。僧侶は「我は救世の菩薩なり。家は西方にあり」といい、母后の許しを得て口中に入った。その途端に母后は目を覚ましたが、喉の中にはまだ物を飲み込んだときのような感触があった。 誕生 入胎12ヶ月を経過して、母后は宮園内の厩で太子を出産する。殿内に入ったのち、赤い光、黄色い光が西方より差し込んだ。太子には香気があった。 2歳 太子が合掌し、東に向かって「南無仏」と唱え、再度礼拝した。 3歳 花園に遊んだとき、「桃花は一旦の栄物、松葉は万年の貞木なり」と言って、松葉を賞した。 4歳 「穴を地に穿つも隠るることを得ず」と言って、騒いだ罰として自分から進んで笞をうけようとした。 7歳 経論を披見して、六斎日の殺生禁断を奏上。 10歳 蝦夷の侵寇に対して、教え諭すことでむさぼりの性をなくすべきことを奏上し、その鎮撫に成功。 11歳 弓石の競技において他の童子を圧倒した。 14歳 蘇我馬子、塔を建てる。太子の言葉を機縁として、馬子の願いに応じて仏舎利が涌現(ゆげん)した。 26歳 百済より阿佐王子が来朝。太子、眉間より長さ三丈あまりの白い光を放つ。 27歳 「この人、すごぶる合(かな)へり」と言って、膳大郎女を妃とする。愛馬の黒駒に乗り、舎人の調子丸をともなって富士山頂に登り、信濃・三越(さんえつ)を経て、三日で帰った。 35歳 『勝鬘経』を講じ終わった夜、長さ二三尺の蓮花が雨降り、三四丈四方の講説の地に満ち溢れた。 37歳 三昧定に入ること七日七夜、魂を遣わして、前生における修行の時に所持した経典を持ち帰った。 39歳 膳大郎女に我が身のしあわせを語り、同穴を誓う。 42歳 片岡山の飢人に会う。彼が没したあと、その墓を開いたところが、その遺体はなく、衣服がたたんで置いてあり、太子の与えた紫の袍だけがなかったという。 薨後22年 上宮王家の人々が、斑鳩寺の塔より西に向かって飛び去る。ときに光明が輝き、天花雨降り、妙なる音楽が聞かれた。 この『伝暦』の中の太子は、 入胎時の記述から、救済者の化身として仏と同格の地位を獲得しており、太子を信仰すること=菩薩・仏を信仰するという構図ができており、その超人性が強調されている。 一方で、崇敬の対象のみならず思慕の対象でもある。誰もがそれへ近づきうる人間でもあり、理想的な人間でもある。4歳時の太子は道徳的規範・社会倫理に進んで適応する存在であり、39歳時の太子は、夫婦関係の倫理的規範を示している。太子信仰が庶民に親しめるものとなった背景には、これらの点を見落としてはならない。
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