中町の土地を購入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 21:08 UTC 版)
「学校法人清光学園 (愛知県)」の記事における「中町の土地を購入」の解説
1959年(昭和34年)4月、本多は岡崎市長選挙に「石原清光」の名で立候補するも落選。同年、岡崎市中町の「灯台山」と称された高燥地約2,100m2を購入。1960年(昭和35年)10月には日本私立幼稚園連合会(現・全日本私立幼稚園連合会)の代表として欧米10ヶ国を視察。スイスの幼稚園をモデルに新しい幼稚園の創設を計画し、1961年(昭和36年)に工事に着工した。巨大な岩石の累積からなる灯台山の整地作業は難航を極めたが、1962年(昭和37年)3月1日、中町1丁目8番地に早蕨幼稚園(現・第一早蕨幼稚園)を創立した。 本多は幼児教育者育成を念じ短期大学創設を決意。早蕨幼稚園に隣接する土地の所有者6人と折衝し、1964年(昭和39年)7月1日、4,986m2の敷地を購入した。 1965年(昭和40年)4月1日、同地に岡崎女子短期大学開学。初代学長にはお茶の水女子大学名誉教授の石川謙が就任した。 1973年(昭和48年)4月1日、同地に第二早蕨幼稚園を創立。第二早蕨幼稚園は同年10月15日に洞町八王子の現在地に移転新築。 2004年(平成16年)3月15日、大学グラウンド隣接地の欠町字狐ヶ入21番地に第一早蕨幼稚園の新園舎が竣工。 2012年(平成24年)11月8日、岡崎女子大学の設立認可が下り、2013年(平成25年)4月1日に開学した。
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