中世〜近代の文学作品での恋愛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 07:47 UTC 版)
「恋愛」の記事における「中世〜近代の文学作品での恋愛」の解説
中世フランスに起源が見られる騎士道物語においてはロマンス的愛(=ローマ風の愛。「ローマ風」とは「ラテン風」が正式なものとされるに対して「民衆的・世俗的な」という語感をもつ)が生まれ、キリスト教的愛(=アガペー。神が示す無償の愛)とは異なるもの、異風なものとして叙述されはじめた。 13世紀、中世フランスにおいてギヨーム・ド・ロリス(フランス語版)とジャン・ド・マン(フランス語版)によって書かれた『薔薇物語』は恋愛作法の書として多数の写本が作られ、当時 貴婦人たちの間で大きな影響力を持っていた。 中世ドイツでは、今日一般的な恋愛関係による婚姻(恋愛婚)は9世紀に教会により非合法とされたので婚姻において氏や家が重要であった(ジッペ・ムント参照)。 イギリスでは16世紀にシェイクスピア(1564年 - 1616年)が『ロミオとジュリエット』において、家同士の争いに引き裂かれる恋人たち、悲劇的な恋愛を描いてみせた(1595年前後初演)。不朽の名作として、バレエ、ミュージカル、映画など様々なジャンルにリメイクされている。 17世紀後半のイギリス、すなわちシェイクスピア直後の時代には、現代用いられる「身体を否定する精神だけの愛」という意味でのプラトニックラブという表現が現れたらしい。 19世紀末期のフランスで、エドモン・ロスタンが戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』を書き、ロクサーヌという女性に恋心を抱いているにもかかわらず自分の気持ちを面と向かって伝えることができず、恋心を隠し通し、自分の恋を成就させるかわりに若くて美男子(だが見てくればかりで、頭が悪く、才能が無い)クリスチャンとロクサーヌとの恋をとりもってやる シラノという中年男の「忍ぶ恋」「切ない恋」を描いてみせた(1897年初演)。この戯曲はパリの人々を大熱狂させたといい、1897年の初演から500日間400回連続上演され、その後も今日にいたるまで世界中で上演されつづけており、映画やミュージカルに幾度もリメイクされ見続けられている。
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