中世〜近世初頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/10 21:17 UTC 版)
藤原定家の日記『明月記』の1235年(文暦2年)4月2日・6月6日条に、同年3月20日と21日の両夜に賊が入り、野口王墓が盗掘を受けていることが記録されている。また、その際、石室の記録として、阿不幾乃山陵記(あふきのさんりょうき)が作られた。それには、石室は馬脳(瑪瑙)、棺は乾漆であったと書かれている。室町時代から江戸初期にかけては、陵としての管理が廃れていたようで、1791年(寛政3年)刊の『大和名所図絵』では、旅人達が墳丘の上に登ることはもちろんのこと、石室の内部にも自由に入って見学している様子が書かれている。
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