中世 – 近世初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 07:39 UTC 版)
平清盛相国、小松内府に命じ、近江国琵琶湖を北海へ切落し、新田を開かんとし、敦賀へ越る道中塩津の山中深坂といふ所に、其切開きかゝりし迹(あと)、今に残れり。近来河村(かわむら)、松浦(まつら)が輩、又此事をいひて、北海へ湖水を落さん事を謀れども、其事ならず。 橘南谿, 『北窓瑣談』 敦賀 – 塩津間の運河構想の歴史は、不確かなものまで含めると平安時代まで遡ることができる。これは江戸時代中期に記された橘南谿『北窓瑣談』に基づき、平清盛が嫡男平重盛に塩津から深坂を経て敦賀を結ぶ運河の掘削を命じたとされるものであるが、事実とは見做しがたく伝説の域にとどまる。 伝承の域に留まるものとしては、天正13年(1585年)ごろには敦賀城主の蜂屋頼隆が、天正末期から慶長初期にかけては豊臣秀吉の命のもと同城主の大谷吉継が運河の掘削を試みたとされるものもある。。
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