中世および近世ヨーロッパ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 09:46 UTC 版)
「フットボール」の記事における「中世および近世ヨーロッパ」の解説
「en:Medieval football」を参照 中世、ヨーロッパ中、特にイングランドにおいて、一年に一度のシュローブタイド・フットボールが盛んに行われるようになった。ブリテンで行われていた球技については9世紀の『ブリトン人の歴史』で言及されている。ボールを手、足、スティックで扱うラ・ソーユ(英語版)あるいchouleとして知られるフランス北部において行われていた球技については12世紀に記録がある。 「モブフットボール(英語版)」と呼ばれることがあるイングランドで行われていたフットボールの初期の形は、近隣の町や村の間で行われていた。モブフットボールは隣の教区との間の開けた場所で行われ、人数は無制限であり、膨らませた動物の膀胱といった物を特定の場所(相手の村の教会など)に移動させることを目的に争われた。この競技は懺悔節、クリスマス、復活祭といった重要な宗教的祭りの期間に主に行われ、シュローブタイドゲームはイングランドの多くの街で現代まで生き残っている(後述)。 ほぼ確実にフットボールだと思われる球技についての、イングランドにおける初めての詳細な記述は、1174年から1183年の間にウィリアム・フィッツスティーブン(英語版)によるものが知られている。フィッツスティーブンは、懺悔の火曜日の毎年恒例の祭でのロンドンの若者について次のように記している。: .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}昼食をすませると、ロンドンのすべての若者は、ball game(球技)に参加するためにfields(フィールド、試合場)へと出かけていった。それぞれの学校の生徒は自分達のボールを持っていた; 各都市の組合の労働者もまた自分達のボールを持って来ていた。年配の市民、父親達、裕福な市民は、彼らの息子達が競いあうのを見るために、そうして若かりし頃の自分たちを思い重ねるために、馬に乗ってやってきていた: ごく初期の言及のほとんどは、単純にこの競技を「ball play」あるいは「playing at ball」と呼んでいる。このことは、この時期に行われた競技が必ずしもボールを蹴ることを含んでいない、という考えを補強する。 確実にフットボールだと思われる球技についての記述は、1280年にイングランドノーサンバーランドのアッファム(英語版)における次のものがある。: 「ヘンリーは...ボールをプレーしている (playing at ball) 時... デイビッドに向かって走った」。1308年には、アイルランドにおいてフットボールが行われており、ダウン県ニューキャッスル(英語版)での「フットボールの試合」においてウィリアム・バーナードという名の選手によって偶然に体当りされた観客であるJohn McCrocanに言及した文献が存在する。その他、フットボール競技に関する言及には、1321年のイングランドノーフォークShouldhamにおけるものがある。。
※この「中世および近世ヨーロッパ」の解説は、「フットボール」の解説の一部です。
「中世および近世ヨーロッパ」を含む「フットボール」の記事については、「フットボール」の概要を参照ください。
- 中世および近世ヨーロッパのページへのリンク