エドモン・ロスタンとは? わかりやすく解説

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ロスタン【Edmond Rostand】


エドモン・ロスタン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 19:34 UTC 版)

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エドモン・ロスタン
Edmond Rostand
アカデミー・フランセーズ会員の制服を着たエドモン・ロスタン(1903年)
誕生 エドモン・ウジェーヌ・アレクシ・ロスタン(Edmond Eugène Alexis Rostand)
(1868-04-01) 1868年4月1日
フランスマルセイユ
死没 (1918-12-02) 1918年12月2日(50歳没)
フランスパリ
墓地 サン・ピエール墓地フランス語版(マルセイユ)
職業 劇作家
言語 フランス語
最終学歴 コレージュ・スタニスラス
ジャンル 戯曲
代表作 『シラノ・ド・ベルジュラック』
『シャントクレール』
主な受賞歴 レジオンドヌール勲章コマンドゥール
配偶者 ロズモンド・ジェラールフランス語版
子供 モーリス・ロスタンフランス語版
ジャン・ロスタンフランス語版
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エドモン・ウジェーヌ・アレクシ・ロスタン(Edmond Eugène Alexis Rostand、1868年4月1日 - 1918年12月2日)は、フランスの韻文の劇作家。戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』の作者として、特に知られる。アカデミー・フランセーズ会員。

生涯

1868年マルセイユの豪商の家に生まれた。1870年普仏戦争から翌年のパリ・コミューンに至る騒擾を、家族ぐるみ、ピレネーの山ふところのバニェール=ド=ルション(Bagnères-de-Luchon)に避ける。

1884年、パリに上京し6区コレージュ・スタニスラスを経てパリ大学法学部に学び、弁護士・外交官など将来に迷いながら、ルコント・ド・リールジュール・ルナールらの文人と交わる。1888年に最初の戯曲『赤い手袋』をクリュニー座(Théâtre de Cluny)で上演して、不評。1890年に、詩集『手すさび』を私費出版[1]

その年、2歳年長の詩人ロズモンド・ジェラール(Rosemonde Gérard)と結婚。そのときの代父はルコント・ド・リール、後見人は、アレクサンドル・デュマ・フィス(Alexandre Dumas fils)であった。1891年長男モーリス、1894年に次男ジャンを得る。モーリス(Maurice)は、後に作家。ジャン(Jean)は、後に生物学者となる(父と同じくアカデミー・フランセーズ会員[2]藤田嗣治の作品に『ジャン・ロスタンの肖像(Portrait de Jean Rostand)』がある[3])。

1894年、恋の幻滅と再生を描いた三募の韻文喜劇『ロマネスク』をコメディ・フランセーズに持ちこんで上演し、その叙情性が好評を呼んだ。ついで、中世吟遊詩人の悲恋物語『遠い国の姫君』をサラ・ベルナールのために書き、これは成功しなかったが[1]1897年さらに彼女のために書いた三幕の聖書劇『サマリアの女』は、ルネサンス座(Théâtre de la Renaissance)で上演して成功した[1]

そして、鼻が大きすぎて愛されないと信じている才人貴族の物語『シラノ・ド・ベルジュラック』で、畢生の大当たりをとった。これは、サラ・ベルナールの紹介で知り合った俳優、コンスタン・コクラン(Benoît Constant Coquelin)に依頼された五幕の韻文劇で、ポルト・サン=マルタン座(Théâtre de la Porte Saint-Martin)の1897年12月28日の蓋明けから500日間、400回を打ちつづけ、パリ中を興奮させたと言われ[要出典]、今に至るまで各国で頻繁に上演されている。

その後、1900年ナポレオン2世の悲運を描いた『鷲の子』をサラ・ベルナールにより、1910年に鳥ばかりが登場する寓意的な『東天紅』をコメディ・フランセーズでサッシャ・ギトリーにより、上演するが、世評はシラノに遠くおよばなかった。時代を先取りしすぎたとの所論が、後年行われている。

1901年5月30日、アカデミー・フランセーズの会員に選出される。1915年、女優マリー・マルケ(Mary Marquet)との関係が原因で、妻ロズモンドと離婚[4]

1918年12月2日スペインかぜでパリにて死去[4]、享年50歳。故郷マルセイユのサン・ピエール墓地フランス語版に眠る[5]

著作

韻文劇

  • 赤い手袋(Le Gant rouge)(1888)
  • ロマネスク(Les Romanesques)(1894)
  • 遙かなる姫君(La Princesse lointaine)(1895)
  • サマリアの女(La Samaritaine)(1897)
  • シラノ・ド・ベルジュラック(Cyrano de Bergerac)(1897)
  • 鷲の子(L'Aiglon)(1900)
  • シャントクレール / 東天紅(Chantecler)(1910)
  • 全集(7 巻)(1910-11)
  • ドン・ファンの最後の夜(La Dernière Nuit de Don Juan)(1921)(遺作)

詩集

  • 手すさび(Les Musardises)(1890)

邦訳

脚注

  1. ^ a b c 岩瀬孝. “ロスタン” (日本語). コトバンク. 2020年7月3日閲覧。
  2. ^ Jean ROSTAND” (フランス語). www.academie-francaise.fr. Académie française. 2020年7月3日閲覧。
  3. ^ 藤田嗣治展” (日本語). 京都国立近代美術館 (2018年). 2020年7月2日閲覧。
  4. ^ a b Vie et oeuvre d'Edmond Rostand” (フランス語). www.edmond-rostand.com. Site Edmond Rostand. 2020年7月3日閲覧。
  5. ^ ROSTAND Edmond (1868-1918)” (フランス語). www.landrucimetieres.fr. Cimetières de France et d'ailleurs. 2020年7月3日閲覧。

外部リンク

  • Edmond ROSTAND - アカデミー・フランセーズ公式ウェブサイト(エドモン・ロスタンの略歴、作品、会員就任演説)
  • Edmond Rostand - エドモン・ロスタンについて(フランス語)
  • Cyrano de Bergerac - 『シラノ・ド・ベルジュラック』について(フランス語)
  • ロスタン - コトバンク(日本語)


前任:
アンリ・ド・ボルニエ
アカデミー・フランセーズ
席次31

第13代:1901年 - 1918年
後任:
ジョゼ・ペディエ



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