世界的に広まった経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 04:20 UTC 版)
1945年時点ではアメリカ人のほとんどはピザという名で呼ばれる食べ物を全然知らなかった。(まずアメリカに広まった経緯について、神話のような説から紹介すると、)第二次世界大戦でイタリアに駐留することになったアメリカの兵士たちがアメリカに帰ってからアメリカにピザが広まった、とする説明が、Ed Levine著の “Pizza: A Slice of Heaven.”という印刷された本に書かれているのだが、まあ確かに、数人の兵士がイタリアでピザを食べてアメリカでも食べようと思った可能性もありはするが、当時のイタリアはファシストの政府の誤った政府運営が原因で深刻な食糧危機に陥っていたので、ほとんどのアメリカの兵士たちはイタリアの食糧不足のせいで駐留中にピザには出会わなかった可能性が高い。したがって、アメリカで現在のようにピザが広まったことの原因の説明としては、アメリカ兵のイタリア駐留を持ち出すのは不適切である可能性が高い。 これほどまでに(アメリカや世界各地で)ピザが広まることになった原因として挙げるのにもう少し良さそうな説は、イタリアからの移民の多さである。1870年から1970年にかけて2600万人よりも多くのイタリア人が仕事を求めてヨーロッパ諸国やアメリカやそれ以外の国に向けて出国した。en:Encyclopedia Britannicaは「イタリア人移民がとても多かったことで、ピザはポピュラーな食べ物となった」と説明している。たしかに、アメリカのニューヨークでも、アルゼンチンのブエノスアイレスでも、イタリアからの移民がイタリアン・レストランを開店して、さまざまなイタリア料理を提供した、という事実がある。だが、それらのイタリア料理店のおかげで他のイタリア料理に関してはアメリカ人にも知られるようになったのに、ことピザに関しては、不思議なことに1950年代でもほとんどのアメリカ人が知らなかった。 つまり、ピザは今ではグローバルなものになっているのにもかかわらず、それがどのようなメカニズムで広まったかについては、あまり正しく理解されていないのである。1950年代から1980年代にかけてピザが世界的に広まったのは事実なのであるが、そこにはいくつかの要因が関係している、とThe Washington Postの記事の筆者は分析している。(イタリア移民の世界的な多さだけを要因として挙げるべきではない。たとえば当時、米国北東部で出店ブームとなったピザ店のおよそ半分はギリシア系のアメリカ人だった。) ピザ店というのは、開店する時の必要な開店資金が比較的少ないということが、他の選択肢もある中からピザ店を選んで開店することにつながった、と言えるとし、また、テクノロジーの変化がピザの調理・配達に劇的な変化をもたらしたこともピザの普及に影響した、と指摘する。たとえば回転式の棚をそなえた金属製のオーブンの登場、あらかじめシュレッド(細切りに)されたチーズやトッピングの登場、加工済みの配達用ボックスの登場、自動車の一層の普及(モータリゼーション)などの要因が、より多くの消費者たち、たとえば都市の外に住む消費者たちや、大学のキャンパスにいる人々や、軍の基地にいる人々(軍関係者)にまで、ピザを配達するということにつながった、とThe Washington Postの記事の筆者は分析している。
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