与那国島の浜競馬
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医師・池間栄三の『与那国の歴史』では、ツァバムヌンの祭事の後に農事に関する懇談会を行いながら、競馬(浜競馬)や角力(すもう)などを楽しんだとある。この物忌祭の競馬大会は小学校も授業を切りあげるほどで、1960年(昭和35年)4月25日の与那国小学校は授業を2時間で切りあげ自由見学させたと記録されている。 写真家の高草操(たかくさみさお)は、与那国の人々は誰でも馬に乗ることができたと紹介する。与那国では馬は人々の交通手段で、どの農家にも1-2頭の馬が飼われ、子供も乗馬を覚え、浜競馬も集落ごとに盛んに行われていたと記す。昔の浜競馬で優勝した経験のある住民も、写真家の前で与那国の乗馬を披露している。 2008年5月3日に、与那国町祖納のなんだ浜(波多浜)にて、浜競馬「んまはらし」(馬走らし)の大会が28年(30年)ぶりに復活した。伝統のある行事を新しく見つめ直し再興するとともに、島の活性化や、与那国馬との触れ合いの目的がある。かつて、与那国馬は農耕場として用いられたが、農機具の普及により、1970年代に20数頭にまで減少したため、1976年に町民らが保存会を結成し、2008年までに約120頭まで回復した。この大会は絶滅を免れた与那国馬の維持のための観光行事であり、主催は与那国町自治公民館連絡協議会で、与那国馬保存会や「与那国馬ふれあい広場」などが馬を提供して、競技が行われた。昔は浜の端から端まで約280mだったが、今回のコースは直線120mであり、6頭の馬で疾走するタイムレースである。また、くらがけか、裸馬かは乗り手の自由とされた。 出走馬の与那国馬は体高約120cm、体重約200Kgほどの小型馬で、おとなしく乗りやすい特性がある。競技は年代別に行われ、乗馬する若者のほとんどが過去の浜競馬を見たことが無い世代だったものの、かつて農作物を馬で運んだ経験のある高齢者や、町内の乗馬クラブに所属する小学生までが参加した。大会はゴールめざし全力で走る馬や、コースを大きくはずれ落馬する人などがみられ、昔を知る老人からは懐かしいという声もあった。大会には与那国島内・島外から観光客や町民が詰めかけ、歓声をあげた。 「与那国馬」も参照
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