与那国島の浜競馬とは? わかりやすく解説

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与那国島の浜競馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 16:34 UTC 版)

琉球競馬」の記事における「与那国島の浜競馬」の解説

医師・池間栄三の『与那国歴史』では、ツァバムヌンの祭事の後に農事に関する懇談会行いながら、競馬浜競馬)や角力(すもう)などを楽しんだとある。この物忌祭の競馬大会小学校授業を切りあげるほどで、1960年昭和35年4月25日与那国小学校授業を2時間で切りあげ自由見学させたと記録されている。 写真家高草操(たかくさみさお)は、与那国人々誰でも馬に乗ることができたと紹介する与那国では馬は人々交通手段で、どの農家にも1-2頭の馬が飼われ子供乗馬覚え浜競馬集落ごとに盛んに行われていたと記す。昔の浜競馬優勝した経験のある住民も、写真家の前で与那国乗馬披露している。 2008年5月3日に、与那国町祖納のなんだ浜(波多浜)にて、浜競馬「んまはらし」(馬走らし)の大会28年30年)ぶりに復活した伝統のある行事新しく見つめ直し再興するとともに、島の活性化や、与那国馬との触れ合い目的がある。かつて、与那国馬農耕場として用いられたが、農機具普及により、1970年代20数頭にまで減少したため、1976年町民らが保存会結成し2008年までに約120頭まで回復した。この大会絶滅免れた与那国馬維持のための観光行事であり、主催与那国町自治公民館連絡協議会で、与那国馬保存会や「与那国馬ふれあい広場」などが馬を提供して競技が行われた。昔は浜の端から端まで約280mだったが、今回コース直線120mであり、6頭の馬で疾走するタイムレースである。また、くらがけか、裸馬かは乗り手の自由とされた。 出走馬与那国馬体高約120cm、体重約200Kgほどの小型馬で、おとなしく乗りやすい特性がある。競技年代別行われ乗馬する若者のほとんどが過去浜競馬見たことが無い世代だったものの、かつて農作物を馬で運んだ経験のある高齢者や、町内乗馬クラブ所属する小学生までが参加した大会ゴールめざし全力で走る馬や、コース大きくはずれ落馬する人などがみられ、昔を知る老人からは懐かしいという声もあった。大会には与那国島内・島外から観光客町民詰めかけ、歓声をあげた。 「与那国馬」も参照

※この「与那国島の浜競馬」の解説は、「琉球競馬」の解説の一部です。
「与那国島の浜競馬」を含む「琉球競馬」の記事については、「琉球競馬」の概要を参照ください。

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