上告審・最高裁第二小法廷
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「三島女子短大生焼殺事件」の記事における「上告審・最高裁第二小法廷」の解説
最高裁判所第二小法廷(古田佑紀裁判長)は2007年(平成19年)10月22日までに、本事件の上告審口頭弁論公判を開廷する期日を「2007年12月17日」に指定して関係者に通知した。 最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で2007年12月17日に上告審口頭弁論公判が開かれ、弁護人は死刑回避を、検察官は上告棄却をそれぞれ求めた。その後、最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)は2008年(平成20年)2月12日までに上告審判決公判の期日を「2008年2月29日」に指定した。 最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で2008年2月29日に上告審判決公判が開かれ、同小法廷は控訴審の死刑判決を支持して被告人Hの上告を棄却する判決を言い渡したため、死刑判決が確定することとなった。被告人Hの弁護人は上告審判決を不服として2008年3月10日付で最高裁第二小法廷に判決の訂正を申し立てたが、申し立ては同小法廷から2008年3月17日付で出された決定により棄却されたため、被告人Hの死刑判決が確定した。 1983年に「永山基準」が示されて以降、殺害された被害者数が1人の事件で死刑が確定した死刑囚の人数は本判決以前までに計24人だったが、うち23人は金銭利欲目的(強盗殺人・身代金目的誘拐・保険金殺人)か、もしくは殺人前科がある場合(無期懲役刑の仮釈放中に新たな殺人事件を起こした者を含む)に限られており、唯一の例外は2004年に発生した奈良小1女児殺害事件の死刑囚だけだった。そのため、本事件は利欲目的・殺人前科ともになかった被告人に対し、最高裁で死刑判決が支持されて確定する極めて異例のケースとなった。また、静岡地裁管内で第一審が行われた刑事裁判において死刑判決が確定した事例は1980年に最高裁で死刑が確定した袴田事件の死刑囚・袴田巌以来28年ぶりだった。 上告審判決について渥美東洋(当時:京都産業大学教授)は「拷問に等しいような犯行で死刑は当然だ。犯罪が多様化しており『被害者の数だけで量刑を決められるような時代』ではない。判決は『死刑適用の具体的事例』として『新たな1つの基準』が加わったと解釈することができる」と、石塚伸一(龍谷大学教授)は「被告人Hの矯正可能性に触れつつ死刑を選択したことは従来より厳しいと言わざるを得ない。判決文では死刑選択の理由に後向きな表現が目立つが、控訴審の死刑判決を破棄するまでには至らなかった」とそれぞれ評価した。
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