三島由紀夫との関係とは? わかりやすく解説

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三島由紀夫との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 08:00 UTC 版)

東文彦」の記事における「三島由紀夫との関係」の解説

1940年昭和15年)暮、『輔仁会雑誌』に載った三島由紀夫短篇彩絵硝子』(だみえガラス)について感想手紙書き送ったことから、三島との交友が始まる。三島筆名由紀夫」は、文彦作品「幼い詩人」の登場人物悠紀子から取ったという説もある。1942年昭和17年7月1日徳川義恭および三島と共に同人誌赤絵」を創刊1943年昭和18年)に「赤絵第2号発行する。 「三島貴族憧れていた」というような思いこみ広がっているが、それが根拠のないことであるということはドナルド・キーン証言し杉山欣也(『三島由紀夫誕生翰林書房2008年2月)が論証した文彦が、貴族ではない自分にむしろ「草莽の臣としての誇り持っていたことは、十津川武士としては当然のことであり、小説初霜」にも書かれている三島敬意を抱くのは、単なる血統ではなく、やはり人物について深く理解した上で判断した場合であると思われる晩年三島上梓向けて力を注いだ東文彦作品集』は、三島自決の4か月後、1971年昭和46年初頭講談社から出版された。この作品集には、三島1970年昭和45年10月25日付で、長い序文寄せている。2007年平成19年4月講談社文芸文庫再刊された(現在は絶版)。 三島の『豊饒の海第一巻・『春の雪』では、主人公松枝清顕が「夢日記」を書いている。そのモデルとなったのが、1937年昭和12年3月学習院文芸部輔仁会雑誌』に掲載され東文彦『夢』という作文ではないかと言われている。 さらに、『豊饒の海第二巻・『奔馬』で、重要なモチーフとなる「神風連の乱」は、東文彦外祖父石光眞清出身地の関係もあって、『豊饒の海』の構想には、東文彦との関わり深く結びついている考えられる文彦三島及ぼした影響大きく、『仮面の告白』の園子の母は、文彦の母がモデル、「獅子」の「アイゲウス少佐」は文彦モデルとなっている。「やがて御と」、「大障碍」も文彦像が投影され書かれたと思われる

※この「三島由紀夫との関係」の解説は、「東文彦」の解説の一部です。
「三島由紀夫との関係」を含む「東文彦」の記事については、「東文彦」の概要を参照ください。

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