一高生の出身校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 14:25 UTC 版)
「第一高等学校 (旧制)」の記事における「一高生の出身校」の解説
小学校 明治期・大正期、現在までに百年来の歴史を持つ文京区の誠之小、千代田区の番町小、麹町小の各小学校には、都下の有力者の子弟が学区を超えて集まり、その多くが「一高 - 帝大」コースを歩んだ。これは当時、西片(現在の文京区)や番町・麹町(同千代田区)等に居を構えることが日本を代表する最高の「エスタブリッシュメント」であったことから、選抜試験を施さない公立小学校でありながら、これら三つの小学校は「御三家」と呼ばれ、帝大教授の子弟や貴族院議員の係累、子爵の末裔まで、およそ日本の上流階級が好んで集ったからである。 中等学校 下の表は、1907年(明治40年)に旧制第一高等学校に入学した学生の出身中学校(旧制)別ランキングを一高への入学者数が多い順に上位12校まで示したもの、および1934年 - 1942年(昭和9年 - 昭和17年)の間に同高に入学した学生の出身中学校別ランキングを、同様に多い順に上位12校まで示したものである。 エリートの代名詞として「一中 - 一高 - 帝大」などと喧伝された官公立の東京府立第一中学校(現・都立日比谷高校)や東京府立第四中学校(現・都立戸山高校)、官立では東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大附属中・高)、私立では、明治期までは独語試験の一高三部(医科)に多数の合格者を送り出していた獨逸学協会中学校(現・獨協中・高)が一中などと合格者数首位争いを演じ、早稲田中学校(現・早稲田中・高)や開成中学校(現・開成中・高)などが、多くの生徒を一高に送り込んでいたことが分かる。下表には挙がっていないが、日本中学校(現・日本学園中・高)、大成中学校(現・大成高)、順天求合社中学校(現・順天中・高)なども知られていた。 また、明治の一時期において、10年間程度の短期間ではあるが、一部の官公立(後に一部の私立も含める)旧制中学校の成績優秀な生徒に対して、無試験(のち一部科目免除の試験に改定)で一高をはじめとするナンバースクールへ入学できる特権的な推薦枠(連絡)が用意されていた。 明治40年(1907年) 第一高等学校入学者輩出校順位出身旧制中学校名カッコ内は現在校名一高入学者数1府立一中(都立日比谷高)35 2府立四中(都立戸山高)33 2東京高等師範附属中(筑波大附属中・高)33 4早稲田中31 5京北中29 6獨逸学協会(獨協中・高)28 7京華中27 8開成中26 9錦城中20 9郁文館中20 11府立三中(都立両国高・中)19 12東京中16 12麻布中16 昭和9年~昭和17年(1934年~1942年) 第一高等学校入学者輩出校順位出身旧制中学校名カッコ内は現在校名一高入学者数1府立一中430 2府立四中234 3府立五中(都立小石川中等)207 4第一神戸中(神戸高)130 5府立三中120 6東京高等師範附属中115 7府立六中(都立新宿高)87 8府立八中(都立小山台高)70 9湘南中(湘南高)61 10麻布中56 11横浜一中(希望ヶ丘高)54 12第一東京市立中(区立九段中等)50
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