一億総懴悔のラジオ放送
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「東久邇宮稔彦王」の記事における「一億総懴悔のラジオ放送」の解説
玉音放送が行われて翌々日の1945年(昭和20年)8月17日に開かれた日本人記者団との初の記者会見において、東久迩宮は国体護持の方針、敗戦の原因論に触れるとともに、「国民の道義のすたれたのも原因のひとつ」であり、「軍・官・民・国民全体が徹底的に反省し懴悔し」なければならず「全国民総懴悔をすることがわが国再建の第一歩」であると述べた。9月5日に国会で行われた施政方針演説においても次のように発言した。 事ここに至ったのは勿論政府の政策がよくなかったからであるが、また国民の道義のすたれたのもこの原因の一つである。この際私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う。全国民総懴悔することがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信ずる。(中略)敗戦の因って来る所は固より一にして止まりませぬ、前線も銃後も、軍も官も民も総て、国民悉く静かに反省する所がなければなりませぬ、我々は今こそ総懴悔し、神の御前に一切の邪心を洗い浄め、過去を以て将来の誡めとなし、心を新たにして、戦いの日にも増したる挙国一家、相援け相携えて各々其の本分に最善を竭し、来るべき苦難の途を踏み越えて、帝国将来の進運を開くべきであります このいわゆる「一億総懴悔論」発言は、政治家や官吏、軍人による「国家政策の誤り」を認めると同時に、戦争を望み煽った「国民の道義的責任」についても言及するものだった。その発言は、日本の戦争責任の所在を曖昧にするための理論だとして国民の間で反発を招く一方で、問題への関心を高めた。 すでに敗戦直前の時期に内閣情報局から各マスコミに対して「終戦後も、開戦及び戦争責任の追及などは全く不毛で非生産的であるので、許さない」との通達がなされていた。また、敗戦後に各省庁は、占領軍により戦争責任追及の証拠として押収されるのを回避するため、積極的・組織的に関係書類の焼却・廃棄を行っている。9月12日の終戦処理会議においては、戦争犯罪に関してあくまでも日本による自主的な裁判を開廷することが決定された。 一方でGHQは、指導命令・新聞発行停止命令などを用いて「一億総懴悔論」の伸張を抑え、日本の戦争犯罪を当時の政府・軍のトップに負わせることを明確にすべく極東国際軍事裁判(東京裁判)の準備にとりかかっている。
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