一個人としての活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 20:33 UTC 版)
自身の戦争体験を絵本などにまとめ、平和の尊さを訴えている。講演活動やテレビ出演も多い。また、週刊誌などで人生相談の回答者としても活躍している。 絵本作品の中でも『うしろの正面だあれ』は自身の少女時代の戦争経験を元にした作品であり、長男である林家こぶ平(現:林家正蔵)が本名の海老名泰孝名義で出演する劇場用映画も制作されるなどしていて特に著名な作品として知られる。 2005年、私財と寄付で東京都台東区上野に「哀しみの東京大空襲」、「時忘れじの塔」を建立し、毎年3月9日に空襲犠牲者を慰霊する集いを行っている。2021年3月には、追悼を続けていることに対して、アメリカ政府(ジョセフ・ヤング駐日アメリカ臨時代理大使名義)から感謝の手紙を受け取っている。 2008年、日本テレビで放送されたドラマ『東京大空襲』では、監修も務めた。 政治的には平和の尊さを訴える立場から、日本共産党の支持者として名を連ねており、2006年11月の「赤旗まつり」では、党書記局長・参議院議員の市田忠義とトークショーを行い、日本国憲法第9条の堅守を訴えた。戦争を回避するために、何よりも重要なものと考えている。一方で2006年10月には、政府の教育再生会議委員に就任した(2008年1月末で解散)。その一方では、政治的には日本共産党と対立関係(反共主義・保守・右派・改憲派)に位置する産経新聞の読者ファンクラブ「ウェーブ産経」の幹事を務めており、同クラブ10周年記念会報(平成23年春、第26号)で産経新聞にエールを送っている。 文筆はエッセイにとどまらず、増位山太志郎のヒット曲『そんな夕子にほれました』の作詞も手がけている。 かつては上記の戦争体験やその家庭的な雰囲気からコメンテーターとしてワイドショー等に出演することが多かったが、別のバラエティー番組で長男である正蔵の箸の持ち方を指摘されて以来その教育方針を問われ、ワイドショーへの出演は控えている状態である。 最近ではいくつかの自治体の観光大使等を務め、それぞれの土地のPRを行っている。現在ではたいとう観光大使、穴水町名誉町民、石川県観光大使 を務めている。過去には第4期燦々ぬまづ大使を務めていた。 2015年9月には経営陣を変え新装開場した名古屋・大須演芸場最高顧問に就任。2020年9月、大須演芸場がリニューアルオープン5周年を迎えたのを機に自身も高齢で運営での助言の必要もなくなったと判断し、最高顧問の職を辞した。
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