ワーナー・ブラザースへの移籍
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「ジョーン・クロフォード」の記事における「ワーナー・ブラザースへの移籍」の解説
新たな環境を求めてMGMとの契約を終了したクロフォードは、1943年7月1日にワーナー・ブラザースと500,000ドルで3本の映画出演契約を結び、ワーナー・ブラザースの女優となった。クロフォードがワーナー・ブラザースで最初に出演した映画は1944年の『ハリウッド玉手箱 (Hollywood Canteen)』である。第二次世界大戦時のアメリカ軍の士気向上を目的として製作されたこの作品には、クロフォードをはじめ当時のトップスターたちが多数カメオ出演している。クロフォードはワーナー・ブラザースに移籍した大きな理由の一つとして、イーディス・ウォートン (Edith Wharton) が1911年に書いた小説『イーサン・フローム (Ethan Frome)』を1944年に映画化する予定で、そのマッティ役をワーナー・ブラザースから提示されたからだと語っている。 クロフォードはジェームズ・M・ケインの小説を原作とした『ミルドレッド・ピアース』(1945年)の主役を熱望していたが、ワーナー・ブラザースが主役ミルドレッド・ピアースに考えていたのはベティ・デイヴィスだった。しかしながらデイヴィスはこの役を断った。監督のマイケル・カーティスはクロフォードがミルドレッド役に相応しいとは思っておらず、デイヴィスの代役としてバーバラ・スタンウィック、オリヴィア・デ・ハヴィランド、ジョーン・フォンテインなどの女優を希望していた。最終的にはワーナー・ブラザースがカーティスの主張を押し切って、ミルドレッド役にクロフォードを起用することを決定した。カーティスはクロフォードに対して、スクリーンテストを受けて自分がミルドレッド役に相応しいことを証明するよう求めている。そしてテストの結果を確認したカーティスは、クロフォードのミルドレッド役への起用を認めた。しかしながら『ミルドレッド・ピアース』の撮影中も監督カーティスはクロフォードに批判的で、両者の間には緊張感がただよっており、プロデューサーのジェリー・ウォルドがいつもなだめ役に回っていた.。カーティスはジャック・ワーナーに向かって「彼女(クロフォード)は鼻持ちならない気取った様子で、肩パッドをつめこんだ忌々しい格好をしてスタジオにやってくるんですよ。こんな映画の監督をやるなんて時間の無駄にすぎません」と愚痴ったことがある。クロフォードの共演陣は、ジャック・カーソン、ザカリー・スコット (Zachary Scott)、イヴ・アーデン (Eve Arden)、アン・ブライス (Ann Blyth)、バタフライ・マックイーン (Butterfly McQueen) だった。『ミルドレッド・ピアース』は大評判となり、興行的にも成功した。クロフォードも「キャリア最高の演技を見せつけた」と高く評価されている。『ミルドレッド・ピアース』はアカデミー賞に6部門でノミネートされ、クロフォードは初のノミネートでアカデミー主演女優賞を獲得した。クロフォードはさらにこの作品でナショナル・ボード・オブ・レビュー主演女優賞も受賞している。 『ミルドレッド・ピアース』の大成功は、クロフォードの女優としての評価を蘇らせた。その後の数年間、クロフォードはハリウッドでもっとも尊敬され、成功した女優として君臨していた。1946年にクロフォードは、中年女性と若い男性との恋愛を描いた『ユーモレスク』でジョン・ガーフィールドと共演した。ヴァン・ヘフリンと共演した1947年の『失われた心』で演じたルイーズ・ハウエル役で、クロフォードは2度目のアカデミー主演女優賞にノミネートされている。『哀しみの恋』(1947年)ではダナ・アンドリュース、ヘンリー・フォンダと共演し、ザカリー・スコット、デイヴィッド・ブライアン (David Brian) と共演した『美しさゆえに (Flamingo Road)』(1949年)では、カーニヴァル・ダンサー役を演じた。また、ドリス・デイが主演した『It's a Great Feeling』(1949年)には全編にわたって、エロール・フリン、ゲイリー・クーパー、エドワード・G・ロビンソンら当時の人気スターが多くカメオ出演しており、自身に扮したクロフォードも見ることができる。1950年にクロフォードはフィルム・ノワール作品『悪党は泣かない (The Damned Don't Cry!)』でデイヴィッド・ブライアン、スティーヴ・コクラン (Steve Cochran) と共演し、『ハリエット・クレイグ (Harriet Craig)』ではウェンデル・コリー (Wendell Corey) と共演した。 クロフォード自身が「最悪」と評した映画『This Woman Is Dangerous』(1952年)が完成すると、クロフォードはワーナー・ブラザースへ契約解除を申し入れた。これは、すでにワーナー・ブラザースがクロフォードへの興味を失っており、自身の女優としてのキャリアからしても移籍したほうがいいと考えたためだった。同年に出演したRKO作品『突然の恐怖』(1952年)のマイラ・ハドソン役で、クロフォードは3度目にして最後となるアカデミー主演女優賞にノミネートされている。1953年に最後のMGMでの作品となる『Torch Song』で、ブロードウェイのミュージカルスターであるジェニー・スチュワート役を演じた。この作品は好評を博し、興行成績もまあまあだった。クロフォードの演技も「生気にあふれ、刺激的だ。激しくもあり、女性的でもある。ジョーン・クロフォードの全てがとらえられている」と評価されている。 クロフォードは1947年に、シンディとキャシーという名前の双子と養子縁組した。
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