ワシントン、フィラデルフィア、ニューヨーク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 07:13 UTC 版)
「万延元年遣米使節」の記事における「ワシントン、フィラデルフィア、ニューヨーク」の解説
アスペンウォールを旧暦閏3月6日(4月26日)に出港し、ワシントンには旧暦閏3月25日(5月15日)に到着し、ウィラード・ホテルに滞在した。翌26日(5月16日)にはカス国務長官を訪問し、27日(5月17日)にブキャナン大統領に謁見・批准書を渡した。旧暦4月2日(5月22日)批准書は交換され、最大の任務は完了した(批准交換証書は重要文化財として外務省に保管されている)。ワシントンには25日間滞在するが、その間にスミソニアン博物館、国会議事堂、ワシントン海軍工廠、アメリカ海軍天文台を訪れるなど、休む間もない日々を過ごしている。旧暦4月16日(6月5日)、再び大統領に謁見、その後国務省にて、カス国務長官より使節三人には金メダル、以下随員には銀メダル、従者には銅メダルが贈られた。なお、ワシントン滞在中に複数回にわたり金銀貨幣の交渉が行われている。 旧暦4月19日(6月8日)にワシントンを出発、その日はボルチモアに宿泊し、翌20日(6月9日)フィラデルフィアに向けて出発、その日のうちに到着している。フィラデルフィアでは造幣局を見学し、日米金貨の分析実験や金銀貨幣の交渉も引き続き行っている。またチェスクラブを訪れ将棋を披露している。 フィラデルフィアには6日間滞在し、旧暦4月27日(6月16日)午前発、午後にはニューヨークに到着した。ニューヨークではブロードウェイでパレードが行われ50万人もの人から集まり、空前と言われる大歓迎を受ける。当時のニューヨーク・タイムズは「市の歴史で最も目新しく華々しいイヴェントの一つ」だと評している。ちなみに2010年6月には侍来米150年を記念した特別展示会がニューヨーク市立博物館で開かれている。ニューヨークには13日間滞在しているが、特に重要な行事はなく、旧暦5月12日(6月29日)、ナイアガラ号で帰国の途についた。 なお、一行がニューヨークを出発するとき、当時世界最大の客船であったグレート・イースタンがニューヨーク港に停泊していた。グレート・イースタンは満載排水量3万2160トン、全長211mの巨大船で、排水量であればポーハタンの10倍に達する。一行はこれを軍艦と勘違いしたが、日本と列強との科学技術の差を強く意識させられることとなった。 また、無給通詞見習として同行していた、当時16歳の立石斧次郎が、出発後の米国人将校達との会話を通じ劇的に英語力を高め、米国滞在中には使節のスポークスマンを務めるようになったが、斧次郎の事が米国内の新聞でイラスト付きで報道されたことにより、将校達がつけたニックネーム「トミー」として10代を中心に女性からアイドル的人気を集めるようになり、挙句「トミーのポルカ」なる曲が作られるほどであった。
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