ロンドンでの生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/17 13:43 UTC 版)
「フランク・ワースリー」の記事における「ロンドンでの生活」の解説
ワースリーは北極航海を終えた後で、ロンドンでの生活に戻り、そこではシャクルトンや戦時軍務での功績があったのでかなり高い水準の暮らしを送ることができた1926年、ワースリーはジーン・カミングと結婚した。カミングは1920年にロンドンのニュージーランド・ハウスで、ワースリーの手紙を集めているときに彼と出逢っていた。ワースリーにとっては再婚だった。最初の結婚は1907年にセオドラ・ブラックデンとしていたが、ロシアからワースリーが戻るまでにセオドラが彼の元を去っていた。二人に子供はいなかった。離婚手続きが終わるには数年間を要した。カミングは30歳近く年下だった。ワースリーは貿易航海の合間に本や記事を書いていた。それらの中で『シャクルトンのボートの旅』と『サウスジョージアへの渡海』の2作は1924年に定期雑誌「ブルー・ピーター」でシリーズとして掲載され、評判が良かった。これらの作品は1931年に単行本で纏められた。その本は1919年に出版されたシャクルトン作『南』よりも優れていると見なされた。1938年、4作目である『横帆船の最初の航海』が出版された。ワースリーは経済的に困るようになると(それはしばしばあった)、本を書いて金にした。その話題は遠征に使った犬から、エレファント島で共に暮らした者達のパイプ喫煙習慣まで幅広かった。 ワースリーは収入のために講演旅行も行い、その出版記録によってその履歴が強化された。人生の後半で船に乗ることは少なくなり、その講演が収入源としてより重要になった。おもにシャクルトンとの航海について話し、その話を強化するためにシャクルトンの妻が夫のスライドを貸し出すこともあった。後年、自分自身の航海に関する話をレパートリーに加えた。その講演は評判が良く、地方紙で温かく取り上げられた。その評判は1933年に公開された映画『南』に登場してさらに上昇した。この映画でワースリーは訛りの無い語りを務めた。この映画はエンデュアランス遠征に関するフランク・ハーリーの映画用フィルムに基づいており、写真のスライドも挿入された。ワースリーも実物でこの映画に登場しており、観衆に遠征で得られた幾つかの遺産を見せている。ワースリーの著作と同様に、この映画も評判が良かった。 1930年代、ワースリーはヨットとシップの供給会社であるインレイ・ローリー・ノリー & ウィルソン・リミテッドに参加した。その個人的な経験が会社の販売用カタログで重要な要素になった。1937年、この会社は50以上の配達航海を行った。その中でも最長期間になったのは香港に送った蒸気船であり、3か月掛かった。これらの航海の中で多くにワースリーがジーンを同行しており、二人で航海を楽しんだ。
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